おひつじ座
力を抜いて手を振り下ろす
自己表現としての滝
今週のおひつじ座は、「瀧の上に水現れて落ちにけり」(後藤夜半)という句のごとし。あるいは、自己やその運命の落しどころを定めていこうとするような星回り。
「滝」の語源は「たぎつ」という古語で、これは水が激しく逆巻きながら流れることを意味し、その様子に古人は流れ落ちる「龍」の姿を見たのでしょう。
掲句はそんな凄まじき水の流れである滝の表面をほとばしった水のかたまりを、スローモーションで捉えた究極の客観写生句。
ただ「水現れて」と言い表された"それ”は、もはやただの水ではなく、作者自身の思いの宿った言葉であり、現し身(うつしみ)であり、したがってそれが豪快なしぶきをあげている、という描写はそれ自体が一つの自己表現であり、そうすることで自身を再発見しているのだとも言えるのではないでしょうか。
そして、振り上げた手を思いっきり下ろしていくかのように、"それ”は滝つぼへと落ちていく。
7月5日におひつじ座から数えて「自己の終着点」を意味する10番目のやぎ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、自分自身をそこへ向けて走らせていくべきゴールや目標を改めて掴み取っていきたいところです。
積み荷のない船
井上陽水に『積み荷のない船』という曲があります。
「積み荷もなく行くあの船は、海に沈む途中」という歌いだしで始まり、「帰るまで好きな歌をきかせて、会えるまで胸と胸が重なるまで」というフレーズで終わります。
何事も、始まりがあれば必ずいつか終わりがやってくるもの。個人的なリズムから社会的なリズムへ、そして宇宙的なリズムへと高まることで船の勢いが増すのだとすれば、宇宙的なリズムから肉体的な呼吸のリズムへと落ち着くことで航行は終わります。
この曲で歌われる「好きな歌」とは、宇宙的な運行リズムが、自分が落ち着くべき肉体のリズムと組み合わさり、アレンジされていく上で自然に生まれてくる音楽なのではないか、そんな風にも思います。
人生というものが、そんな音楽と共にあるのだとすれば、あなたはどんな音を選びますか。そんなことを考えつつ、どうか今週は過ごされてみて下さい。
今週のキーワード
肉体と音楽