おひつじ座
何で私は「年寄る」べきか
イェイツの仕事の流儀
今週のおひつじ座は、カタツムリのごときW.B.イエィツのごとし。あるいは、自分なりの仕事の流儀を再確認していくような星回り。
アイルランド文芸復興の担い手で、ノーベル文学賞受賞作家でもあるW.B.イエィツは、2つの意味で規則的に仕事をすることを大切にしていたと言います。
ひとつは、集中力がなくなってしまうから。イエィツいわく、「少しでも変わったことがあると、私の決して堅固とはいえない仕事の習慣はくずれてしまう」と。そして、2つ目の理由が彼がカタツムリのように物凄くゆっくりとしたペースでしか仕事ができなかったから。
彼の書いた手紙によると、「私は書くのがとても遅い。満足のいくものは、一日にせいぜい五、六行で、それ以上書けたためしがないし、八十行以上の叙情詩を書くのは数カ月かかってしまう」そうですが、詩以外の収入を得るために書いていた批評文などに関してはその限りではなかったようで、「人は生きるためにおのれの一部を悪魔に与えなければならない(中略)私は批評文を与える」とまで書いています。
イエィツが仕事の仕方において優れていたのは、まさにこの区別にあり、これと決めた核心的な仕事だけに自分なりの流儀を厳しく適用していった訳です。
5月30日におひつじ座から数えて「規律と習慣」を意味する6番目のおとめ座で、上弦の月(価値の確立)を迎えていく今週のあなたもまた、どの仕事に対してどんな自分なりの「流儀」を持つのか、改めてアップデートしていくことがテーマとなっていきそうです。
「年寄る」と「年取る」の区別
江戸時代の三大俳人の一人・与謝蕪村は、芭蕉などとは違いだいぶ遅咲きの人でしたが、実際「年寄る」という言葉と「年取る」という言葉を明確に区別して使っていました。
人間、何もしなくてもみな平等に年は取るものですが、「年寄る」とは文字通り、年が自分に寄ってくるように、仕事であれ旅路であれ恋の道であれ、ひとつの境地を深めていくことを言ったのです。
旅と言っても今はカジュアルになりましたが、江戸時代の旅というのは原則的に徒歩であり、肉体的にも極めて負担が重く、一度旅に出てしまえば二度と同じ場所に戻ってこられる保証はありませんでした。そのため年齢を重ねれば重ねるほど、「次が最後の旅になる」という予感がのしかかってくるものでした。
蕪村は俳句もまた、「次で最後かも知れない」という思いで詠んでいたのでしょうし、それはイェイツも同じ思いだったのではないかと思います。
今週のあなたもまた、自分なりのケジメの付け方を貫徹していくためにも、真剣に向き合うべきものに「年寄る」ための孤独な時間を整え、確保していくといいでしょう。
今週のキーワード
選択と集中と継続