おひつじ座
風そよぐ
接近と乖離
今週のおひつじ座は、「歩き続ける者」としてのイエスの御業のごとし。すなわち、既成の文脈から分離して、おのれを再構成していこうとするような星回り。
イエスの身体的行為に注目しながら福音書を見ていくと、随所でイエスが歩いて移動している描写が登場することに気が付きます。そして、それは同時にイエスがこれと思って接近した人々へ付与する性質でもありました。
「その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。」(『ルカ福音書』五・二十七)
このレビとは、後の12使徒の一人であるマタイのこと。イエスの弟子たちは、こうしてそれまで自分が属していた社会的な立場を捨ててイエスに従うのですが、ゲルト・タイセンという聖書学者によれば、イエスの活動の核心はその恒常的な運動性や移動性にこそあるのだと言います。
つまり、特定の場所に定住しない脱・社会的な生活形態ゆえに、イエスやその弟子たちは病気の治癒などの特殊能力を持つカリスマ集団たりえたと見なされたのです。
そして、25日(土)におひつじ座から数えて「受け取る愛」を意味するみずがめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、ただイエスがマタイに与えたのと似た影響をいかに自分が既に受け取っているか、また、その結果何が実現されつつあるのかということについて、否応なく突き当たっていくことになるでしょう。
旅路は風の通り道
風は目に見えず、突如としてあらぬ方向から吹いてくるし、強くなっては凪、すぐに方向を変え、予測や予断を許しませんが、古代ギリシア語ではそんな風のことをプネウマと呼んでいました。普遍的な実体としての「霊」のことです。
そして西洋哲学では、そんな風や霊がよどんで情念として沈殿した状態が、個別的な魂(プシュケー)であり、自分が自分であることの中核なのだと考えてきました。
そこでは、確固とした自分を持つことだとか、どんな風にもびくともしない堅牢な教会のごとき業績を残すことが、崩れにくい「優れた個人」の見本とされてきた訳です。
そういう意味で、今週はそういう価値観とは別の、もっとゆらめいたり、しなったり、情勢に応じてどこかへ流れていってしまうような、霊の視点に立って自分をシフトさせていくことがテーマなのだと言えるかも知れません。
今週のキーワード
プネウマとプシュケー