みずがめ座
基本に戻れ
「思い出」の質を高めるための習慣
今週のみずがめ座は、レオナルド・ダ・ヴィンチの歩んだ道のごとし。あるいは、人間のもつ想起的な記憶(思い出)の重要性を再評価していこうとするような星回り。
15~6世紀イタリアに生きたダ・ヴィンチは、一流の画家・芸術家であったばかりでなく、科学者・技術者でもありました。ルネサンス期に登場した多くの万能人の中でも、その才能に対して「神のごとき」(ヴァザーリ)という形容詞がつけられているのはミケランジェロと彼だけであることから、まさに「万能の天才」の名に値すると言えるでしょう。
ダ・ヴィンチは膨大な手記を遺しており、そこからはスケッチや絵画からだけではうかがい知れない彼の思想や主張が肉声をともない聞こえてくるかのようです。例えば、記憶にかかわる断章は次のような一文から始まります(『レオナルド・ダ・ヴィンチ』)。
人々が時の流れのあまりにすみやかなことに罪を着せて、時の流れ去るのを嘆くのは見当違いだ。
というのも、人々は時間というものが「十分な余裕をもって推移する」ことに気付いていないとし、さらに次のように述べています。
だが、自然がわれわれに贈ってくれる上等な記憶は、過ぎ去った遠い昔のあらゆることを目前にあるかのように思わせる
彼はまた「絵画は科学(知)なり」というモットーでも知られていますが、「魂の窓と呼ばれる眼は、それにより共通感覚がもっとも豊かかつ壮大に、限りない自然の作品を考察しうる第一義的な道だから」とも言っていて、彼がきちんと眼で観察することを「上等な思い出」の想起の上で何よりも大切にしていたことが分かります。
20日に自分自身の星座であるみずがめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、内容を十分練らないままに主張を述べたり、早々に評価されようとして躍起になるのではなく、改めて微細な観察の手間や工夫を凝らしていくことで、五感を貫く根源的な「共通感覚」を活性化させる習慣をつけていきたいところです。
物語の書き換え
ドイツの仏教学者ヘルマン・ベックは、仏陀が悟りを開いた際に体験した内容について、次のように描写しています。
無数の世代にわたり、自分と他の生き物たちの生涯を観察し、次々に快楽と苦痛、好運と不運に遭遇したことをすべて知り、それぞれの生涯において、自分の名が何で、どの家柄、どの階級、どんな生活環境であったか、それぞれの生涯の寿命はどれほどであったか、ということを想起する(『仏教』)
ルネサンスの天才たちと同様、多くの人は「悟り」への過剰な神聖視や明らかな誤解から、こうしたことはあくまで特別な人の特別な体験であって、自分には関係がないと思ってしまっているように思います。
しかし、仏陀が体験したことようなことは、仏陀ほどではないにせよ、私たちの誰もが少なからず経験しうることであり、無意識的に体験していることなのではないでしょうか。
例えば、過去やこれまでの人生を振り返って自分が望まなかった現実や、そこから逃げたかった真実が何であったのかをはっきりさせる努力をしていくとき、私たちは「自分」という登場人物を媒介に、虚構と事実、客観的歴史と主観的物語といった二項対立の境界を破って横断し、過去やこれまでの人生を再解釈していくことができます。
今週のみずがめ座もまた、これまでどこか自明なものとしてとらえてきた自分の人生に対して、必要があれば取材やフィールドワークを行ったり、記録や証言を改めて引っ張り出すなどして、観察の解像度を高めていくことができるかも知れません。
みずがめ座の今週のキーワード
悟りは自己観察の積み重ね