みずがめ座
いい湯だな♪
無力感の大波の中で
今週のみずがめ座は、『終戦日妻子入れむと風呂洗ふ』(秋元不死男)という句のごとし。あるいは、地に足のついた行動を通して平和を作り出していこうとするような星回り。
作者は戦時中、治安維持法違反の嫌疑で投獄されていた人。戦争中はいつなんどきインフラが機能しなくなるか分かりませんでしたし、水は大変貴重なライフラインでしたから、風呂に湯を張ってゆっくり浸かることなどもう長い間なかったことでしょう。
戦争に負けた。しかも講和ではなく無条件降伏である。
当時その事実を受け入れること自体に抵抗をもってしまう人も少なくなかったはずですが、作者が敗戦の知らせを聞いて、まっさきに思い浮かんできたのが「家族を風呂に入れてあげよう」ということだったというのです。
そこには自身の投獄体験の影響も少なからずあったのでしょう。ただ嘆くばかりで時間をいたずらに無駄にしたり、誰か何かを憎んだりするよりも、みずから体を動かすことで守れるだけの「平和」を実感したかったのかも知れません。
そして、家族と平穏に暮らせる平和な国であってほしいと願うのは、昭和の時代の作者だけでなく、令和の私たちもまったく同じなのではないでしょうか。
8月13日にみずがめ座から数えて「責務」を意味する10番目のさそり座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、まずは自分の手の届く範囲内にしぼって、何を洗っていくべきか考えていきたいところです。
「足摺り」という所作
古典的な能や現代の暗黒舞踏では、跳ぶことが禁じられ、その代わりに地に括りつけられた者の所作としての「足摺り」に大きな意味が与えられてきました。
西洋由来のバレエやタップ・ダンスが、軽やかに人間的な湿り気や拘泥からみずからを遠ざけようとするのに対して、「足摺り」は土着的であり、低く重くみずからがその上に立つ大地へと下降し、そこに立て籠もっていくのです。
かといって、それは大地や床を卑しめたり、蔑んだり、憎悪したりするのではなく、リアリティーのもっとも内奥におのれを浸透させ、そこでじりじりとおのれをリアリティーに擦り付け、これを外してしまえばおのれの立場そのものが虚偽になると思い詰め、受け入れざるを得ない事態のなかでただただみずからを苛んでいく。
それは自分がそもそも「腐植土(ラテン語のhumus、humanity=人間性の語源)」であることを思い出していくための技芸でもあり、「風呂洗ふ」という掲句の言葉と表裏の関係にあるような悔いや恥といった情念や、心にこびりついた湯垢のようなものもまた、こうした「足摺り」をとおして初めて浮かび上がってくるのではないでしょうか。
今週のみずがめ座もまた、平和を真に願うのなら、まずは身のうちの錆や汚れをしっかりと浮かせて落としていくことに取り組んでいくべし。
みずがめ座の今週のキーワード
ババンババンバンバン