みずがめ座
スイッチが入る感覚
しづかなる威厳に
今週のみずがめ座は、『冷されて牛の貫禄しづかなり』(秋元不死男)という句のごとし。あるいは、こちらを圧倒する何かとの関わりをこそ大切にしていこうとするような星回り。
農作業がまだ機械化されず、牛や馬が地味な重労働の主力を担っていたころの作でしょう。
一日暑い中を働いた牛を川や沼に連れていって、汚れを落としたり疲れを労ってやると、牛の方も心得たもので、おとなしく水の中に浸かっていたりする。
あらためて間近で見ると、流れのなかに悠然と立っている牛は、無表情ながらもどこか王者のような貫禄があり、作者は日中の働きぶりとは対照的なそのしずかな威厳に、不意に圧倒されてしまった訳です。
現代に置き換えれば、こうした牛馬はAIに置き換えられるはず。その無表情ながらも普通の人間以上の働きぶりはどこか哲学者のようでもあり、少なくとも「単なる機械」と切り捨てることのできない何かを十分感じさせてくれるのではないでしょうか。
かつての農家にとって、牛馬が単なる使い勝手のいい駒や歯車に過ぎない存在というより、人間の力強い味方であり、生活していく上でのパートナーであったように、私たちもまさにその認識や関わり方を改めるべき転回点に、もうすでに来ているのかも知れません。
その意味で、8月4日にみずがめ座から数えて「パートナーシップ」を意味する7番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、AIであれ動物であれ他の何かであれ、それらが発しているしづかなる威厳にまずは意識を向けてみるといいでしょう。
生活に厳かさを
「夜型にすべきか、朝型にすべきか」という問いはずっと頭のどこかにあって晴れてくれない永遠のテーマと言えますが、黒人女性で初めてノーベル文学賞をとったトニ・モリスンは、自分の作品の執筆にとりかかる時間帯は時代によって変えていきました。
1970年代から80年代にかけてのインタビューでは、夜に小説を書くと答えているものの、90年代に入ると早朝になったのですが、その理由が「日が暮れるとあまり頭がまわらなくて、いいアイデアも思いつかない」からだと言います。
執筆のために5時ごろ起床、コーヒーを作って「日の光が差してくるのを眺める」のが毎日の儀式であり、特に日光の部分は重要なのだとか。
作家はみな工夫して、自分がつながりたい場所へ近づこうとする。(中略)私の場合、太陽の光がそのプロセスの開始のシグナルなの。その光のなかにいることじゃなくて、光が届く前にそこにいること。それでスイッチが入るの。ある意味でね(メイソン・カリー、『天才たちの日課』―クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々―)
ある意味で、この場合の朝日というのも「こちらを圧倒する何か」と言えるのかもしれません。今週のみずがめ座は、そんな風にこちらを圧倒し、スイッチを入れてくれるようなものを、自分の日常に引き込んでいくことが一つのテーマとなっていくでしょう。
みずがめ座の今週のキーワード
「日の光が差してくるのを眺める」