みずがめ座
静かなる愛と暴力
割り切れない思い
今週のみずがめ座は、『朝顔の双葉のどこか濡れゐたる』(高野素十)という句のごとし。あるいは、言葉にできない思いをせっせと「推し」へ注いでいくような星回り。
朝顔は種をまいてから1間ほどで芽を出し、ひと月かふた月ほどで花を咲かせますが、ちょうど本格的に梅雨入りする前の今時分あたりが種まきにちょうどいい時期ですね。
朝顔づくりは江戸時代に始まる庶民の風流であり、現代でも路地裏や学校の隅っこなど、ちょっとしたスペースで朝顔を育てている光景に出くわします。作者が苗を買ってきた口か、種から育てたかは分かりませんが、ここでは生えたばかりの苗をじいっと見つめているのです。
まだ双葉とはいえ、すでに朝顔特有のハート形の葉の特徴が出ているのがおもしろい。どのタイミングで、どんな花が咲くものか、想像しながら奥に手をのばして軽くさわって、そのみずみずしい成長の痕跡を確かめていると、ふと葉が濡れていることに気付いた。「どこか」とあるので、自分で水をやって濡らした訳ではなく、作者の知らないところでいつの間にか通り雨に降られていたのかも知れません。
作者はそんな出来事に際して、自分の気持ちについては何も言っていませんが、それでも小さい葉への接し方や出来事の切り取り方を見るだけでも、朝顔の苗をいつくしんでいるその気持ちが読者にも伝わってくるはず。
5月26日にみずがめ座から数えて「主観の爆発」を意味する5番目のふたご座に拡大と発展の木星が約12年ぶりに回帰するところから始まった今週のあなたもまた、別に誰かに頼まれた訳でも、それで自分が得する訳でもないのに、気が付くとやってしまっている小さな楽しみを追求していくべし。
若葉の頃
演出家として数々のドラマを手がけてきた久世光彦は、かつて太宰治の『人間主格』の主人公・大庭葉蔵と21歳の若さで自死を選び夭逝した作家の久坂葉子の2人の名を挙げて「滅びていかなければならない種族」と書きつけました(『昭和幻燈館』)。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも……神さまみたいないい子でした」というのが『人間主格』の結びでしたが、いずれの人物にも「葉」の字が現われ、久世はこの「葉」の字に頑迷なロマン主義を抱いているのだと漏らします。
花という文字が盛りと爛熟を想わせ、樹が直線と真摯さを連想させるならば、葉は私たちに何を想わせる?つややかな緑は若さであろうか。細く走る葉脈は勁烈さかもしれない。そして葉と葉の触れ合ってそよぐ音は、若さゆえの含羞にも聴こえる。
さらに久世は、川端康成の『雪国』の葉子や、有島武郎の『或る女』のヒロイン葉子などの名もこの「葉」の種族に加えた上で、彼らは「限りなく戦闘的でありながら心優しいインディアン」なのだとも言うのです。
今週のみずがめ座もまた、そんな風にそよぎ、人知れず濡れているような、自分にとっての「若葉」をひとつ見定めていきたいところです。
みずがめ座の今週のキーワード
一方的な暴力としての愛