みずがめ座
人間性の波打ち際
人工知能化しつつある社会
今週のみずがめ座は、『澄みし目にA・I目指すこどもの日』(山下美典)という句のごとし。あるいは、果たしてそれでいいのかと問わずにはいられない事実や現実と、改めて向き合っていこうとするような星回り。
現代に生まれた子どもたちは、「10年後にはこういう誰にでもきる仕事はAIに取って代わられるから」とか「君(という人間)にしかできない仕事を創れ」といった、徹底的な市場原理に基づく言説を幼い頃から浴び続けている訳ですが、そうした子どもが将来なにを目指すようになるのかという問いへの答えのひとつが、掲句において端的に示されているように思います。
何をバカなことを、人間は人間を目指すに決まっているだろう、と反応したくなる気持ちもありますが、それ以上に、子どもが代替不可能な価値を持つことができるようになるまでの過酷な競争ゲームの連続に耐えうる支援やケアを、今の大人達が十分用意してあげられるほど心理的ないし経済的余裕があるようには思えない、という考えの方がどうしても優勢になってしまうのです。
だったら、さっさとそうした心が傷つくだけの競争から下りて、A・Iになってしまった方がラクだ。そうした考えにいたる子どもが増えるのも自明の理であり、すでに悪い意味で、頭のなかがAI化してしまっている大人も沢山いるのではないでしょうか。
すなわち、知覚可能なすべてを考慮して、総合的に判断する。ただし、明確な二項対立的図式や評価基準に基づいて、自分にとって有益か有害かのいずれかに決め、自分にとっての知識世界を構築していくというもので、例えばコロナ禍で増えた陰謀論者のような類いもこれに該当するように思われます。
5月1日にみずからの星座であるみずがめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自分の中の人工知能的な部分を実感すると同時に、“そうでない部分”がいかに働いているのかをいま一度自問してみるといいかも知れません。
繰り返し押し寄せる思い
ここで思い出されるのが、ネヴィル・シュートの『渚にて―人類最後の日―』というSF小説です。ざっくり言ってしまえば、核戦争後の話で、北半球はすでに全滅し、南半球にいる主人公たちの身にもじわじわと終わりの日が近づきつつあるという設定。
状況としては現代よりずっと大変な事態が迫っているはずなのですが、登場人物たちは何が何でも生き残ってやると、危機に対してバリバリ戦おうとする感じではぜんぜんなく、滅びに向かっていく世界の歩みがごくごく自然にそこに展開されていくのです。
当然、ハリウッド映画のようなスペクタクルも、大々的なカタストロフもそこにはありません。すべての人類に等しく訪れるだろう終局を前に、一人ひとりの暮らしと仕事ぶりが描かれ、それが逆に「死というものとどう折り合いをつけるのか」という問いを、繰り返される波の音のように静かに読者のこころに残していくのです。
しかし、考えてみれば、そうした問いへどう対処するのかという問題こそ、先の“そうでない部分”の働きにかかっているのではないでしょうか。今週のみずがめ座もまた、そうした繰り返し波のごとくあなたの元に訪れる問いに身を添わせていくべし。
みずがめ座の今週のキーワード
残心