みずがめ座
目覚めの必然性を整える
余寒を味わう
今週のみずがめ座は、『なきがらの何持たさるる余寒かな』(男波弘志)という句のごとし。あるいは、移りゆく時の流れに即していくためにも、1つの区切りをつけていこうとするような星回り。
立秋をすぎればうだるような暑さも残暑となり、立春をすぎれば骨身に沁みるような寒さも余寒となる。
「冬惜しむ」という季語は実際にはありませんが、掲句では、傍から見ていても大変で過酷なものであっただろう故人の人生に、何らかの心残りや終わってしまうのがもったいないような感じを抱いているのかも知れません。
考えてみれば、葬式というのは名目こそ亡くなった本人のためということになっていますが、実質的には残された人々の故人を惜しむ気持ちや執着に区切りをつけるということが大きな役割になっているのではないでしょうか。
その区切りに際して、棺の中の「なきがら」は何を入れられるのか。それは、故人を取り囲むそれぞれの人たちにとっての執着や心残りに他ならないはず。そのあわれさやいたわしさは、まさに余寒の厳しさにも重なっていく訳ですが、だからこそそれらをきちんと味わっていくことも、再び前を向いて生きて行くためには必要不可欠なプロセスになのでしょう。
同様に、2月10日に自分自身の星座であるみずがめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自身の執着や心残りをきちんと自覚したうえで、消えゆく「棺」に自分の手で投げ入れていくべし。
「別れと目覚め」
宗教学者の鎌田東二は『別れと目覚め』というエッセイの中で、生前から坊さん嫌いを公言していた義父の葬儀を、悩みつつ仏式から神式に変え、自分自身が斎主となって執り行っていった自身の経験から、ある時ふいに次のような言葉を思い浮かべたそうです。
わかれとは
いのちのめざめ
めざめることの いたみ
別れはつらい。なぜなら、それは喪失であり、関係の変化であり、どんなに兆候があろうとも決定的な関係の切断であり、痛みであるから。ただ、そうであるがゆえに、必然的に今後も自分が生きていくことの問いかけと諦めの観念を呼び起こし、その意味で痛みを伴う目覚めなのではないだろうか。
今週のみずがめ座もまた、そうした別れを通してしか成長し目覚めることのできないみずからの宿業のようなものを改めて痛感していくことになるかも知れません。
みずがめ座の今週のキーワード
「冬惜しむ」