みずがめ座
自分でつくったほうが面白い
パッと顔が明るくなる瞬間
今週のみずがめ座は、「面白い」という言葉を発したアマテラスのごとし。あるいは、自分で自分の機嫌をとっていこうとするような星回り。
竹取物語には「月のおもしろう出でたるを見て」という表現が出てきますが、もともと「面白し」とはパッと開けた正面になにか明るい「白い」ものを見たり、その際の野や山の様子が「面白い」のであって、そこから時代を経るごとに見た人の側の心理の方に主眼が置かれて、その晴れ晴れとした気持ちや、愉快だ、感興がある、ということを意味するようになっていったようです。
また平安時代の神道資料である『古語拾遺』では、「面白し」という言葉の語源をより限定的に“人の顔色(面)”として捉えています。
いわく、天照大神が天の岩戸に隠れ、世界がまっくらやみになったとき、八百万の神々たちが岩戸の前で大神の機嫌を取り持とうと神楽を奏し舞う。やがて岩戸が開かれると、大神の光に照らされて神々の顔(面)が白く喜びにつつまれ輝き、「あな(非常に)おもしろ」と言ったことから、「面白し」という言葉が出来たというのです。
いずれにせよ「面白さ」とは、本来テレビやショート動画などでお笑い芸人や配信者が視聴者のウケを取るための手段などではなく、この世界の根源で働いているような大いなる働きと言うべきものに触れたときの深い感慨のことを指してきた訳です。
12月20日にはみずがめ座から数えて「実存」を意味する2番目のうお座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした感慨をさらに促し、深いものとしていくための努力や工夫として、自分にはいま何ができるのかを改めて考えてみるといいでしょう。
グリッサンの「不透明な言語」の実践
カリブ海フランス領マルティニック出身の作家エドゥアール・グリッサンは、複数の言語の接触と衝突によって生じた言語的異種配合と多言語共存という自身のバックグラウンドに立った上で、自己表現という場においてそれをいかに引き受けつつジレンマを超えられるかという問題に触れて次のように述べました。
不透明性は、それ自体のなかに力を秘め隠しており、外的な根拠によって正当化されることがない。そしてそのことによって、不透明性は「透明性」という概念が私たちを疎外してしまうことに断固抵抗するための力を与えてくれる。私は、ハイチの亡命演劇集団クイドールによってマルティニックのフォール・ド・フランス市で上演された演劇のことを思い出す。言うまでもなく、劇の主要部分はハイチアン・クレオールで語られたため、私たちにその意味は分からなかった。しかしまさにこの不透明性ゆえに、私たちはそれがまぎれもなく「自分たちの」演劇であることを納得した。私たちはそのとき、未知という不透明な通路をたどって、理解に到達したのだ。(『“関係”の詩学』)
ここでいうクレオールとは、意思疎通ができない異なる言語圏の間で自然に作り上げられた言語のことを指しますが、グリッサンはそうして引き裂かれた言語のなかにこそ、言葉に再びポエティックな生命を与える力を見出し、その自覚的な使用を訴えかけたのです。
今週のみずがめ座もまた、誰か何かに「語られて」しまうのではなく自然なポエティックスとともに自ら「語る」行為のなかで、ある種の生まれ変わりを経験していくことができるかも知れません。
みずがめ座の今週のキーワード
不透明性はそれ自体のなかに力を秘め隠している