みずがめ座
祖先の姿を繰り返す末裔たち
再受肉の思想
今週のみずがめ座は、ひとつの種としての人間のごとし。あるいは、自分が分かち与えられたものを、改めておそれと神聖な感情をもって受け取っていこうとするような星回り。
生物学の世界では有機体が次第に高等化していく発達過程は、残らず遺伝によって伝えられていくものと教えられていますが、思想家のルドルフ・シュタイナーは、『神智学』の中で、そうした現在の自然科学に則した発展法則にさらに「霊」という観点を加えるとき、「一人ひとりの人間それ自身がひとつの『種』である事にきがつくだろう」と述べました。
この人間=ひとつの種という見方は、肉体的生命が以前の生活で味わったありとあらゆる労苦と経験は、死とその後にくる新しい誕生のあいだの霊の世界での生活において運命からの収穫物という形で練り上げられ、再び受肉した魂に前進的な発達の可能性を与えていくという「再受肉の思想」に基づいたもので、魂は繰り返し地上に再生されていくという人間観と表裏の関係にあります。
つまり、人間は誰一人としてまったく白紙の状態で生まれてきた訳ではなくて、私たちの能力、素質、弱さなどさまざまな形をとりながら、前世からの果実を携えて地上にやってきているという訳ですが、シュタイナーは人類に良い実りをもたらす発展のためには「この生まれる前の存在を否定する思考を克服する努力がどうしても必要」なのだと言います。
私の肉体としての人間の姿は、私の先祖から伝えられてきたものだ。しかし、私の生涯の記録の中に書かれる事柄を、私はどこから得たのだろう。肉体を持つ人間として、私は祖先たちの姿を繰り返しているのだが、霊的存在としての私は、一体何を繰り返しているのだろう。
12月5日にみずがめ座から数えて「継承」を意味する8番目のおとめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そうしてひとつの種として自分が積み重ね、この地上へと携えてきた果実を改めて「おそれと神聖な感情をもって」受けとっていくべし。
私たちは死者の群れの中で生きている
例えば、ロシアの文学者ミハイル・バフチンは、文芸作品を解釈することについて、次のようなことを言っています。
芸術作品はその根をはるか遠くまでに広げているものなのであり、それが創作された時代とは長い複雑な熟成過程をへて結実した果実の取り入れの問題にすぎないのである。作品を同時代と先行する時代の状況のみから理解し、説明しようとすれば、作品のもつ意味論的深さを洞察することはできなくなってしまう(『小説の言葉』)
これは裏を返せば、現在にしか属さないすべての作品は現在とともに脆くも滅びていくのだということでもあります。その意味で、「種」というメタファーは壮大な過去をさかのぼって羽ばたいていける想像力の象徴なのだとも言えるかも知れません。
今週のみずがめ座は、願わくば、遡れる限りの歴史のなかで、みずからの今後の運命の鍵を握っているように思える人物や出来事との絆を少しでも感じとっていきたいところです。
みずがめ座の今週のキーワード
「私は祖先たちの姿を繰り返している」