みずがめ座
だんだん角がとれていく
虚飾の削ぎ落し
今週のみずがめ座は、『秋雨や庭の箒目尚(なお)存す』(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、なにげない普段着の自分の在り様をただしていこうとするような星回り。
静かに庭を見ている。以前に掃いたときの箒目(ほうきめ)がまだうっすらと残っている。そして、その箒目が残った土を秋雨がしっとりと濡らしている。
作者75歳の作。秋雨にも、庭の様子にも、何ら目新しさはなく、作者としてもそこに特別な感慨がある訳でもなさそうです。「秋雨や」から始まる句も、俳句の世界ではこれまでごまんと詠まれてきました。
しかし、うっすらとではありますが、“だからこそ”そういう景を詠んでいるのだ、という意図が垣間見られるような感じもします。まるで、ご飯とみそ汁に漬け物だけの食事のような、普段着の句。
こうした句を、作者は長年にわたり黙々と詠み続けていました。作者はもっとずっと若い頃に「これから自分を中心として自分の世界が徐々として亡びて行く其の有様を見て行こう」と書いていましたが、掲句はまさにそうした言を実現するさ中にある人間の見ている世界を、ありありと示しているように思います。
10月6日にみずがめ座から数えて「生活態度」を意味する6番目のかに座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、よそ行きの、仰々しい飾りを自身からなるべく削ぎ落していきたいところです。
分度器の放射線
小学校の卒業アルバムなどを久しぶりに開いてみると、顔立ちであれ、成績であれ、人気であれ、かつてはわずかな違いに過ぎなかったものが、時の経過とともにはかり知れない程度に広がっていることに気が付きます。
まるで分度器のように、1度の違いに過ぎなかったものが、放射状に伸びた線をどこまでもたどっていくと、それぞれまったく異なる国にたどり着いてしまうように。
そうした放射状の広がりというのは、単純に優劣や勝ち負けの二分法などでは把握できるものではない代わりに、ある程度の高さから点と点を結んでいくのでなければ気が付くことができない訳で、この場合の高さとは、埋没しがちな日常からの距離であったり、精神の垂直性とも言い換えることができるはず。
今週のみずがめ座もまた、みずからの生活がどんな角度をとって、どこへ向かっているのか、ある程度の「高さ」の観点から俯瞰していくつもりで過ごしてみるといいかも知れません。
みずがめ座の今週のキーワード
古る(ふる)・・・①年月がたつ。②年をとる。老いる。③ありふれる。角が取れる。