みずがめ座
菩薩としてのスナフキン
スナフキンはどこへ行く
今週のみずがめ座は、あえて空気を読まないスナフキンのごとし。あるいは、自由の実現を阻害する要因を振り払っていこうとするような星回り。
シリーズ5作目の『ムーミン谷の夏まつり』では、公園を管理する公園番が「~するべからず」という禁止看板をあちこちに立てているのを見て、スナフキンが怒りを爆発させます。そこで公園番をやっつけるために使ったのが、体に電気を帯びている不思議な生きものニョロニョロでした。公園にニョロニョロのたねをまいて、公園番を感電させ、お仕置きしたのです。
原作ではこうしたよくも悪くも奔放なキャラクターが垣間見えるスナフキンなのですが、彼が他の登場人物たちと決定的に違うところは、自分ひとりになることを恐れていないところでしょう。ハーモニカで作曲をしているとき、メロディーが降りてくる瞬間をなによりも大切にしている。人間関係がイヤなのではなく、霊感、インスピレーションを自然から受け取りたいから、あえて独りになる。スナフキンはそんな芸術家の元型的存在として描かれていたんじゃないかと思います。
ムーミン作品の登場人物は、作者であるトーベ・ヤンソンの周りの実在の人物が投影されていることが多いそうですが、スナフキンの場合、それはトーベが若い頃に結婚まで考えたアトス・ヴィルタネンという男性だったと言われています。哲学者、政治家、詩人でもあった彼は、スナフキンとよく似た緑のとんがり帽子をかぶっていたのだとか。
ムーミンはスナフキンに憧れがあって、旅に出るスナフキンについて行きたいのですが、邪魔になっちゃうから、自分は帰ってくるのを待っている。そんなところに、当時の2人の関係が投影されていたのかもしれません。トーベと彼は長く付き合っていましたが、政治的なことや戦争などさまざまな事情で結婚には至らず、そのうちトーベに同性の恋人ができて、結局アトスとは破局しました。
しかしそれでも、スナフキンは主人公ムーミンの親友として描かれ、自由と旅を愛しつつ、ムーミンたちと過ごす時間も大切にし、大好きな作曲を邪魔されてムッとしたかと思えば、ムーミン谷の住人たちと無邪気に、ときには過激に戯れもしたのです。
8月2日に自分自身の星座であるみずがめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、ひとつそんなスナフキンをロールモデルに自身の生活パターンを見つめ直してみるといいでしょう。
「功績は多い。だが人は詩人としてこの世に住んでいる」
世の中の人はみな功績によって生きている。企業経営者であれ、絵描きであれ、肉屋であれ、みな生きている以上、この世に功績を残すことをやっているし、その意味でこの世は功績でいっぱいです。けれど、人はこの世で詩人として住んでいる。つまり、実用性や有効性の次元と違う生の次元に触れているじゃないかと、冒頭の詩でヘルダーリンは歌っているのです。
生活と生存のための社会的地平は水平ですが、ヘルダーリンが言っているような詩的感性はそこに垂直に立ち上がってくるものな訳で、仏教ではそういう垂直的地平を「他力」と呼びます。
それは人間が自分の力で支配できない次元、人間に対して贈られている次元であり、詩や詩的なものというのはそういう次元に人間を連れていってくれるんですね。そうすると、菩薩というのも単に神々しい存在というだけでなく、仏に向かおうとする人間の根源的な在り方の問題ということにもなってくる。
今週のみずがめ座もまた、そういう垂直的な次元に触れているそのところで、ひとりの菩薩と化していくことがテーマとなっていきそうです。
みずがめ座の今週のキーワード
他力に触れる