みずがめ座
24時間の明晰夢
夢と覚醒のはざまで
今週のみずがめ座は、村上春樹の『ねむり』という短編小説のごとし。あるいは、いつも以上に「夢」を深めていこうとするような星回り。
「眠れなくなって十七日めになる」という一文から始まるこの作品は、夫と息子のいる平凡な主婦が主人公で、あるとき密かに不眠になったことで生活が一転していきます。
家事もきちんとこなし、趣味であったプール通いも続けながら、眠らなくなったことで余計にできた時間を「自分の時間」とし、トルストイの大長編小説『アンナ・カレーニナ』を黙々と読みふけりながらチョコレートを食べる日々を送っていく――。彼女は忙しさから解放され、自分の人生を取り戻しているのだと感じつつ、思索を深めていきます。
それでは私の人生とはいったい何なのだろう?私は傾向的に消費され、そのかたよりを調整するために眠る。それが日々反復される。(…)その反復の先にいったい何があるのだろう?何かはあるのだろうか?(…)たぶん何もない。ただ傾向と是正とが、私の体の中で果てしない綱引きをしているだけだ。
その一方、彼女は全く眠れないにも関わらず「私」の意識はどこまでも明晰で、体もむしろ以前より元気なくらいであることに違和感を覚えます。そして彼女はふと「死」について思い、こう自問するのです。「死ぬということが、永遠に覚醒して、こうして底のない暗闇をただじっと見つめていることだとしたら?」
ここまで読んで、もしかしたら、と読者は気付き始めるはず。彼女の「日常」の方こそが「夢」だとしたら、と。同様に、10月3日にみずがめ座から数えて「深い夢」を意味する12番目のやぎ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、日ごろの浅い夢から深い夢へと移行していく必要性に駆られていくことがあるかも知れません。
火宅の比喩
人生を苦しみとする仏教の経典のひとつである『法華経』には、火宅の比喩という有名な一節があります。以下にその簡単な概要をまとめてみましょう。
或る古びた邸宅に住む長者がいて、彼にはたくさんの子があった。あるとき、ふと見ると家の壁が燃えていた。長者はなんとか我が子を無事に逃がそうと思ったが、「火事だ!」と叫んでも、その声は遊びに夢中の子どもたちには届かない。そこで長者は一計を案じて、「子どもらよ、お聞き。お土産に羊や山羊や牛がひく車をもってきた。今それは外に繋いである。みんなでそれで一緒に遊ぼう!」と呼びかけ、子どもたちはお土産という言葉に惹かれて、我先にと家の外に飛び出した。こうして長者は子どもらを救ったのだ。
この長者とは仏陀のことであり、子どもらは衆生、そして火事の家(火宅)とは私たちが生きる現世のこと。この世で生きることは、突き詰めていえば、生まれ、年老い、病いにかかり、死に至ることに他ならず、「火宅」とはそうした苦しみに満ちた人生を象徴的に示した言葉だったのです。
私たちは日々安逸をむさぼり、死が刻々と近づいていることに気が付きませんが、それは火事に気が付かない子どものようなものだと言うのです。そう考えてみると、先の夢の中で死やその向こう側について意識し始めた「ねむり」の主人公とは、仏陀と衆生のはざまにあるような存在でもあるのかも知れません。。
今週のみずがめ座もまた、与えられた生の中で、改めて自分なりの真実味を追求していくことになっていくはず。
みずがめ座の今週のキーワード
火宅の人