みずがめ座
すべからく宙吊りにして
クウということ
今週のみずがめ座は、不在としての海のごとし。あるいは、圧倒的な無意味や無縁さを内部に取り込んでいこうとするような星回り。
画家が描く海というのは、いつだって島や砂浜や船や岬を添えることによって人間に近づけられ、いわば馴化(じゅんか)された海であって、本来の海とは人間とはいかなる意味でも無関係な世界なのではないでしょうか。
視覚に多くを依りすぎている私たちの精神は、構図や対照もないところではいかようにも働きようがないのであって、人は海を見ることさえできないのです。その点で、海は雲のない晴天の日の、どこまでも青く広がる空に似ています。
屋上から上を見上げる人は、はたして「空(そら)」という実体をとらえているのか。人の視線の走る先で、空は雲でも鳥でも飛行機でもない“その他”の部分として、つまりは「不在」として存在しており、海もまた島や船や泳ぐ人のいない部分としてみずからを見せるのです。
それはもはやソラではなくて、クウではないのか。そうして「不在の海」は、実在しているはずの陸地や時間や価値をすべからく宙吊りにして、蜃気楼のごとくあやふやで不確かなものに変えてしまう訳ですが、それは心に対してあまりにも馴れ馴れし過ぎる事物に取り囲まれて暮らした挙句の自家中毒的症状から、私たちを回復させもしてくれるはず。
その意味で、7月14日にみずがめ座から数えて「無効化」を意味する12番目のやぎ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、きつく結び過ぎた世俗的な絆や縁をそっとひるめてほどいていくべし。
高良留美子の「海鳴り」
不在の海は地理的な陸地の果てばかりでなく、女性の生理現象としても確かに存在していますが、そのことをよくよく思い出してくれるのが高良留美子の「海鳴り」という詩です。
ふたつの乳房に/静かに漲ってくるものがあるとき/わたしは遠くに/かすかな海鳴りの音を聴く。
月の力に引き寄せられて/地球の裏側から満ちてくる海/その繰り返す波に/わたしの砂地は洗われつづける。
そうやって いつまでも/わたしは待つ/夫や子どもたちが駈けてきて/世界の夢の渚で遊ぶのを。(詩集『見えない地面の上で』)
男よりも、より自然に近い女のからだのリズムは、小さな子宮をこえて、茫漠とした広がりを持っている。女にとっては嫌悪の対象でしかない月の満ち欠けにも、作者のように深い体験を加ええるのだと知れば、感じ方もまた変貌していくはず。
今週のみずがめ座もまた、この詩を書いた彼女のように、みずからの生活の一コマ一コマをまるで新品のように洗い出し、輝かせていくことができるかも知れません。
みずがめ座の今週のキーワード
習慣の洗濯