みずがめ座
からだを開く
広やかな展望
今週のみずがめ座は、「春の海まつすぐ行けば見える筈」(大牧広)という句のごとし。あるいは、頭より先に身体を開いていこうとするような星回り。
春になると海は穏やかに凪ぎ、あたたかい潮風が吹いて、ずいぶんとのどかになる。掲句はそんな春の海を、余計な小細工はさっぱり捨てて、ごく素直な心で、そして素直な言葉で捉えています。
「まつすぐ行けば見える筈」という何気ない言葉遣いは、背骨がガチガチに閉じたままの冬の身体では決して出てきません。うっすらと視線をあげ、広角でそう遠くないところにあるはずの海を捉えるその姿勢には、背骨がちょうどよく開かれることで、絶妙なゆるみがもたらされているはず。
さながら、穏やかな春の海にすっかり身をゆだね、無心で潮風にたゆたうかのように。ここでは、「春の海」という季語が柔らかでありながらも動いておらず、どっしりと作者の身体性を受け止めています。こういう風にまっすぐに自然と向き合う瞬間を、現代人はいまどれだけ持てているのでしょうか。
その意味で、3月3日にみずがめ座から数えて「身体性」を意味する2番目のうお座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、春という季節と向き合うための自分なりの時間と場所をしっかりと確保していくべし。
用心から安心へ
「整体」という言葉の生みの親でもある野口晴哉は、単に物理的に体をよくすることだけを考えていた訳ではありませんでした。例えば、「雨と風」という断章の冒頭では次のように述べられています。
人間の生きているのは苦しむ為だ。その苦しむことが楽しくなるまで、生きていることが養生というのだ。(中略)人間の向上とは苦しむことを拡げることだ。
これはある種の逆転の発想であり、野口は転ばないよう失敗しないよう“賢い”頭が体を“コントロール”しようとするほど、かえって決断と実行を失うことで人として眠ってしまい、そうしてる間に気が抜けてしまう、つまり不養生に陥るのだと指摘しています。
人間には先など見通すことはできず、自分の人生も、世の中のことも知り尽くすことはできないし、決して判らない。そのことを本当に判った人だけが、闇のなかでも光を求めず、また頼らない。いわく、「その足のおもむくままに、大股で闊歩している。彼はその内なる心で歩いて」いくことができるのだと言うのです。
今週のみずがめ座もまた、春の海に浮かんでいるかのごとく、ただポカンとして安らいで過ごしていきたいところです。
みずがめ座の今週のキーワード
向上よりも養生めざそう