みずがめ座
「なす術がない」をする
まいった!
今週のみずがめ座は、「炭切るや心まどへる師の一語」(原田浜人)という句のごとし。あるいは、心身にひとつの問いや問題を深く浸透させていくような星回り。
のこぎりを取って炭を切りながら、そう遠くない昔日に自分の師匠にあたる人物から言われたある一つの言葉が気にかかって、あれはどういう意味で言ったのだろう、とあれこれ考えているうちに、ふと心が惑わしくなってきた。思わずそんな情景が浮かんでくる一句。
炭を切りながらもそうした心の惑いに囚われているのだとも、炭を切る作業のなかでかえって深いところまで思案を掘り下げることができているのだとも解釈できますが、おそらくはその両方でしょう。
現代では「炭を切る」ということは日常生活からすっかり乖離してしまいましたが、洗い物や掃除、買い物などに置き換えてもいいかも知れません。何も考えずに、体にしみ込んだ動作をただ心行くまで繰り返すことのできる時間というのは、瞑想への最高の導入となるのです。
同様に、18日にみずがめ座から数えて「缶詰作業」を意味する6番目のかに座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした動く瞑想に誘われてみるといいでしょう。
諦めと治癒
今はもう使われていない表現ですが『分裂病者と生きる』(1993年)という本があって、その中で編者のひとりである加藤清がまだ若い精神科医だった頃のエピソードとして次のような話が語られています。
いわく、壁面に頭を打ちつけて自傷行為をやめない患者を前にして、誰も何もなす術がなくなり、無力感にかられてみな呆然として立ち尽くしていたと。そのとき、加藤は突然、病室の隅にあったゴミ箱の中に入って土下座した。すると、それまで誰が何を言おうとしようと自傷行為をやめなかった患者が動きを止めて、加藤に注意を向けた。そして、その瞬間から治療行為が進み始めていったというのです。
加藤はなぜ、わざわざゴミ箱に入って土下座したのか。あえて言いきるならば、ここにはあらゆるレベルの治療や治癒という現象の秘密が現れているように思いますし、それは今のみずがめ座にとっても重要な指針になってくるでしょう。
加藤のしたことは、患者や同僚に対するある種の「超越」行為と言えますが、同時にそこには「自分ではどうにもならない」「救えない」といった患者の苦悩に対する諦めの深さと祈りの切実さがあるという点で、権力構造を伴なう操作や圧倒、マウンティングなどとは決定的に異なっているのです。今週のみずがめ座もまた、ほかならぬ自分自身に対して、そうした<諦め>ということを抱いてみるといいかも知れません。
みずがめ座の今週のキーワード
諦めはある地点までいくと祈りへと変ずる