みずがめ座
魂と霊の比喩
こちらは8月9日週の占いです。8月16日週の占いは諸事情により公開を遅らせていただきます。申し訳ございません。
「あはれ」な「あそび」
今週のみずがめ座は、「物の葉やあそぶ蜆蝶(しじみ)はすずしくてみなあはれなり風に逸れゆく」(北原白秋)という歌のごとし。あるいは、想定外の事態に人生の節目を重ねていこうとするような星回り。
蜆蝶(しじみちょう)は「小灰蝶」とも表記されるちいさな水色の蝶で、秋の季語。この歌では、そんな可憐ないきものが秋の訪れを告げるかのように、あたりを涼しげに飛び回っている平穏な言葉が流れが続くのですが、最後の「風に逸れゆく」で異変が生じます。
蝶には草の葉にとまろうとするかすかな意志が感じられるのですが、それが風によってたちまち紛らわされてしまうのです。そして作者はそれを「あそび」と呼び、「あはれ」の情を見出している。
今なお歌い継がれる数多くの童謡や詩歌を残しただけでなく、生涯にわたって多くの出会いや別れ、人生の激しい浮き沈みを経験した作者は、おそらくこの風に翻弄される「蜆蝶」にみずからの姿を重ねていたのではないでしょうか。
みずがめ座から数えて「ぶつかり合い」を意味する7番目のしし座で8月8月夜に新月が形成されたところから始まる今週のあなたもまた、作者が感じたのと似た「風」の起こりや、微妙な「空気」の変化をみずからの周りに感じ取っていくことになるかも知れません。
朱子の「敬」の思想
12世紀南宋に生まれ「新儒教」の朱子学の創始者となった朱子には「敬」の思想というものがありますが、それは普通の意味での「尊敬」のことではなく、ある種の心の覚醒状態のことを指し、主観的な誠意とは全く異なるものでした。
日本人がもっとも好む徳目の筆頭はこの「誠」の方であり、誠実に生きることや、人に誠意をもって接することに、最も高い価値が置かれています。ただ恐ろしいことに、人は誠を貫くために嘘をつくこともあれば、人を殺すことだってできる存在であり、誠意の御旗の下で、しばしば前提や方向性を顧みずに行われた行為が許されてきたという側面も無視できないでしょう。
朱子学における「敬」とは、まさにそうして心が主観的で恣意的になってしまうのを防ぎ、自己を客観化する働きのことを言っていて、その根底にあるのは、この世を支配している何らかの理(ことわり)への畏敬の感情でした。出来事であれ人物であれ、あくまで客観的な対象として研究し、背後の理を知るに至る方法論が「敬」だった訳です。
そして今週のみずがめ座もまた、これになら翻弄されてもいいと自分が思えるような宇宙や人生を貫き遍満する理(ことわり)に意識の焦点を合わせていくつもりで過ごしていくべし。
みずがめ座の今週のキーワード
「心がいつも敬の状態にあるならば、肢体はおのずと引き締まり、なにも意識しないでも、肢体はひとりでにのびのびします」(『朱子文集』)