みずがめ座
ほどよく小さく人間らしく
ズレに気が付く
今週のみずがめ座は、人間らしい歩幅を取り戻していくような星回り。あるいは、いつの間にか当たり前のものと思い込んでいた「生活のズレ」に気付いていくこと。
明治維新からすでに150年以上にわたって、私たち日本人は日常生活においても、思想や哲学においても、西洋と東洋の谷間に墜落したまま、あっちでもない、こっちでもないと道に迷いながら、息をきらせ、青い顔をして不本意ながら歩いてきたのではないでしょうか。
都市を埋め尽くす建物も道路も、どうしたら大きな富が得られるか、どうしたらより便利かを追求して作り替えられていくうちに、ますます空は狭くなり、子どもが自由に走り回れる空間は失われてきましたが、それでもどこかで過渡期なのだからと多くの日本人は我慢を重ねてきたのではないかと思います。
家であれ思想であれ、そんな代用品でしかない“仮住まい”をどこかで終の棲家と信じ込んでいる節もある日本人の生活に、評論家の松山巌は『百年の棲家』の中で次のような疑念を投げかけています。
「過渡期に生じた生活のズレは現在まで何らかの痕跡を少なからず残しているのではないだろうか。ズレが分からないのは現在では当たり前として気づかぬからではあるまいか」
27日にみずがめ座から数えて「処方箋」を意味する10番目のさそり座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、自分がいつの間にかハマり込んでいたズレや谷間を終の棲家にしないよう改めて気を付けていくべし。
大国幻想
日本が明治維新を機に「大国」を目指し始めた頃というのは、かつては領土の広さで表されたものが、それを獲得し維持するだけの軍事力の大きさが指標になり、さらに経済力の大きさへと取って代わられていった‟力の時代”の幕開けでもありました。
しかし今や「経済で大きくなる」とか「強大な経済力で勝つ」というのはもはや旧時代的なあり方となりつつあり、この先「大きい」ということはむしろ維持運営の困難を抱えるリスク要因へと成り下がっていくことは、イギリスのEU離脱の流れやコロナ禍での各国の対応などを見ていても明らかでしょう。
そしてそうした流れは、どこか今のみずがめ座にも通底しているのではないでしょうか。つまり、まだ残存する「もう一度経済発展の勝者の道を」という目論見に対する違和感とともに、どうしたって大きくなり続けようとする欲望にメスを入れ、需要と乖離した目標のための目標を取り下げ、身をもって‟力の時代”に幕を引いていけるかどうかが問われているのではないか、と。
今週のみずがめ座は、どこかでみずからが今そうした節目に置かれているのだと、強く実感していくことができるはず。
今週のキーワード
不本意と本意のはざま