みずがめ座
家父長制を逆さにしただけ
安心の在り様のオルタナティブ
今週のみずがめ座は、アジールとしての家のごとし。あるいは、一番身近な場所の在り方から問い直していこうとするような星回り。
中世社会において、寺社だけでなく家=敷地もまた罪を犯した咎人(とがびと)の走り入りが認められた場であり、権力の介入を排除しうる「不入」ないし「無縁」の場であった事例もあったのだそうです(網野善彦『無縁・公界・楽』)。
これは日本だけに限らず、中世のゲルマン―西欧においても家の中は「平和領域」すなわちアジールであることを広く認められており、それは竈(かまど)の神の支配する場として見られていたとされています。つまり、「無縁」の場としての家の特質は世界の諸民族に共通した、いわば普遍的な現象だったのです。
むろん、そうした無縁の原理とは対極にある「私的所有の原点」もまた家にあることは疑いようもない事実ですが、家の主である家長は私的所有者として私的欲望を追求するだけでなく、無縁の原理を否応なく主張し、前面に押し出す場合もありえたのではないでしょうか。
というのも、現代の私たちにとって家長と言えばすぐに家父長的な支配のイメージばかりが先行してしまいますが、かつてはむしろ女性が家女・家主・家長と表現されていた事実もあったのです。
2月18日にみずがめ座から数えて「安心の基盤」を意味する4番目のおうし座に位置する天王星(解放)が土星(抑圧)と90度の角度をとって激しくぶつかりあっていく今週のあなたもまた、プライベートなものを思い切って明け渡していくことでこれまでとは異なる安心の手がかりを得ていくことができるかも知れません。
砂遊びとしての人生
以前、鎌倉文学館を訪れた際に、「人生もまた一輪の花のようにはかないものであるならば、友よ、砂の上にぼくらの家を建てて、遊ぼう」という一文を見かけたことがありました。湘南ゆかりの文学者たちが自分たちの交友をそんな風に喩えてみせていたのです。
子どもであれば、そんなことをいちいち言語化したり、考えたりしている訳ではないでしょうけれど、実際に砂場や砂浜で大きなヤマをつくり、トンネルを掘って、そこから向こう側をのぞいていると、存在するもののはかなさと、それゆえの美しさのようなものが感覚的にわかる瞬間があります。そんな瞬間のことを思うと、大人が大人であるがゆえに、子どものような遊びを真剣に取り組んでみたくなるのも、もっともなことでしょう。
「家」もまた私的所有の原点である以前にそうした「砂の城」であり、現実を生きることもまたある種の「砂遊び」なのだとしたら。今週のみずがめ座は、そんな演出を改めて自身の基盤に取り戻してみるといいでしょう。
今週のキーワード
砂はガチガチに固まっていないからこそ遊べる