みずがめ座
冬薔薇とビジョン
矜持を託すということ
今週のみずがめ座は、「冬薔薇や賞与劣りし一詩人」(草間時彦)という句のごとし。あるいは、異なる場所に花を咲かせていこうとするような星回り。
作者は戦前に胸を病んで高校を退学し、戦後もしばらく療養生活を送ったのち、昭和26年、31歳でやっとサラリーマンになった人。略歴も「学歴なく、病歴多し」と自嘲気味に書いてあり、この句は昭和29年に詠まれました。
前書きに「務めの身は」とあります。「賞与劣りし」とあるように、周囲の同僚たちに比べて自分の評価が劣っており、それが賞与の多寡という動かしようのない事実として突きつけられているのでしょう。
ただし、作者は自分の生きるリアリティーは決してサラリーマンだけではない、むしろおのれの本分は「一詩人」であることの方に置かれているのだと、魂で叫んでいる。
冒頭の「冬薔薇」の慎ましくも気高い姿は、まさに作者のプライドそのものであり、この句ができたとき、作者の精神には病気でも貧困でもなく、サラリーマンとして在り続けることの苦しみを引き受けんとする覚悟のようなものが宿ったのではないでしょうか。
同様に、15日にみずがめ座から数えて「異なる複数のレイヤー」を意味する11番目のいて座で今年最後の新月を迎えていくあなたもまた、そうした複数のレイヤーを行き来しつつ生きていこうとする自身の在り方のようなものが見えてくるかも知れません。
ビジョンは外部からやってくる
現代人は夢は自分の中から湧き上がってくるものと考えますが、どうも中世やそれ以前の社会では、夢は自分の外からテレパシーのような仕方で送られてくるものであり、自分は夢の受信者ではあっても所有者ではない、といった感覚がより強く感じられていたようです。
例えば平安時代につくられた説話集『今昔物語集』には、聖徳太子に関する次のようなお話がお話があります。
「太子、斑鳩の宮の寝殿の傍らに屋を造りて夢殿と名付けて、一日に三度沐浴して入り給う、明くる朝に出で給いて、閻浮提(えんぶだい)の善悪の事を語り給う」
聖徳太子はしばしば「夢殿」と呼ばれる八角形のお堂に入り、日常において夢を見るのとでは異なる手続き(沐浴)を通して夢を乞い、夜籠りで得た夢のメッセージに基づいて、閻浮提すなわち人間の住む世界で起こる善いことも悪いことも語って聞かせた、と。
つまり、聖徳太子は自分の見た夢を自分の個人的な所有物とは見なさず、社会に向けて共有していくべきものと考えていた訳で、その意味で個人的な矜持を俳句という形で世に示した掲句の作者ともどこか通じていくところがあるように思います。
今日の夢の多くは個人の中で忘却されていきますが、今週のみずがめ座にとっては、人に夢を語っていくことが大切なテーマとなっていくことでしょう。
今週のキーワード
予言文学