みずがめ座
動物園で人生について考える
違和感の増幅
今週のみずがめ座は、「日盛や動物園は死を見せず」(高柳克弘)という句のごとし。あるいは、自分にとって不都合な真実への覆いをスーッと割いていくような星回り。
「日盛(ひざかり)」とは夏の一日のうち、最も太陽の強く照りつける正午頃から三時頃までのこと。暑さにじっと耐えなければならないひと時であり、掲句ではその舞台は動物園に設定され、さらに「死を見せず」という問題提起がさらりと置かれています。
考えてみれば、動物園は動物の生態を垣間見せてくれる場所ではありますが、人間のようにお葬式をする訳でもなく、見られるのは楽しい生態ばかり。彼らが死を迎えれば知らぬ間に片付けられ、何事もなかったように平穏を繕うでしょう。
そして、そうした人間のご都合主義は動物だけでなく、人間の社会においてもより強力に推し進められているのではないでしょうか。
この句にはどこか社会やその背後で働くシステムへの疎外感が漂っており、「日盛」と「動物園」と「死」いう一見違和感のある言葉の組み合わせが、自分からは隠された領域の大きさへと意識を向けさせる形で効いています。
27日にやぎ座から数えて「使命や役割」を意味する10番目のさそり座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、いま動かなければもう自分からは見えなくなってしまうような真実を追ってヴェールの奥へと進んでいきたいところです。
人は孤独で、人生は束の間
動物の死に様と言えば、釈尊の次のような言葉を思い出します。
最高の目的を達成するために努力策励し心が怯むことなく、行いに怠ることなく堅固な活動をなし、体力と智力とを具え犀の様に角を振り立てて、広い草原をただ一人歩め(『スッタニパータ』)
「犀の様に角を振り立てて」とあるように、角は2本ではダメで1本角。孤独に屹立するサイのような自分であれ、というのが釈尊の真意だったのではないかと思います。
それじゃあ、あまりに寂しいと思うかも知れませんが、結局人間は、友人や家族に囲まれようと、死ぬ時はひとり。それ以外は流れゆく風景のようなものであり、そんな自覚が体感をもって深まっていくとき、不思議とこの世での束の間の一時を共に過ごすべき相手や、繋がるべき想いに鋭敏になっていくのではないでしょうか。
そういう意味では、死が覆い隠されるようになったいまの社会というのは、人々が自分の孤独を受け入れられなくなってしまったということに尽きるのかも知れません。
今週はそんなことを念頭に置きつつ、いま自分が受けれいるべきものは何なのかを明らかにしていくべし。
今週のキーワード
疎外に生きる工夫