みずがめ座
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悪夢か至福の夢か
今週のみずがめ座は、古井戸に首をつっこむ芋虫人間のごとし。
乱歩の「芋虫」が最初に雑誌へ発表されたときのタイトルは「悪夢」であったそう。乱歩のあの「闇の中を蠢く者」という発想は、もしかしたら胎児の記憶に起因しているのかも知れません。
母の胎内にあった頃というのは、生物学的には既に生の領域にあります。
ですが意識の上ではやはり「死」と私たちが呼んでいる状態にもあるはずで、底知れぬ不安を起こす悪夢であると同時に、時が歩みをとめてしまった楽園の平安そのものの内に包まれた、至福の夢でもあったように思うのです。
胎児の頃の記憶が蘇っただなんて話を誰かにすれば、あなたは笑いものになるでしょうけれど、実際それに近い状態というのは、生きていれば時たまあるものです。
例えば、かなりの集中力が発揮されて、周囲の音が次第に聞こえなくなっていく時。あるいは、窒息しそうな人間関係の圧の中で意識が朦朧としてくるとき、など。
要は定期的におとずれる自分の生を「決算」し、仕切り直していくタイミングが、今あなたにやって来ているのだと言うこと。
そして、人はそんなとき、死を直接凝視できない代わりに、胎児の頃の記憶に近づいていくのだと言う事です。
「永遠の原始人」
かつて井筒俊彦は『ロシア的人間』の中で、かの広大な大地に棲む人々をそう呼びました。
「行けども行けども際涯を見ぬ南スラヴの草原にウラルおろしが吹きすさんでいるように、ロシア人の魂の中には常に原初の情熱の嵐が吹きすさぶ。大自然のエレメンタールな働きが矛盾に満ちているように、ロシア人の胸には、互いに矛盾する無数の極限的思想や、無数の限界的感情が渦巻いている。知性を誇りとする近代の西欧的文化人はその前に立って茫然自失してしまう。」
現代にいたり、西欧以上に合理的知性を正しいものと信じてきた日本人にとっては、おそらくこうした根本的の嵐はより不気味で、得体の知れない怪物のように映るのかもしれません。
しかし、たかだか200年余りのうちに形成された常識や論理の枠内に自分自身や生そのものを抑えこむことは本来不可能なのです。
今週は、まるで夢が現実を飲みこんでしまうかのような転倒や逆流現象がどこかしらで起きてくるかもしれません。
今週のキーワード
とことん茫然自失する