みずがめ座
裏腹の客観視
角川春樹と角川源義
今週のみずがめ座は、角川春樹の「妹よ羽子板市に来て泣くや」という句のごとし。すなわち、つっけんどんではあるけれど、自身の破調を生きていこうとするような星回り。
まだ幼い妹を連れて羽子板市(歳の市)に行ったら、駄々をこねたのか、悲しくて泣いたのかは分からないけれど、とにかくただ泣いたという、それだけのことをポンと置いてあるだけの一句。
通常、俳句というのは客観と主観の組み合わせの妙にこそ、その特徴を持っている文芸なのですが、掲句は主観だけで出来ています。
ただ、それが角川春樹という人物の新しさ、自由さともなっているのですが、同時にそこにはあえてつっかかっていくような不自由さというか、力が余計に入っている気配のようなものがあります。
勝手な解釈をするなら、それは彼の父親が折口信夫の弟子として高名な国文学者・角川源義であったこと、そして人間的にも文学的にも父親の守備範囲を出られなかったことについての反抗心と裏腹の情愛の現われでしょう。
11日(土)にみずがめ座から数えて「心身の浄化」を意味するかに座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな作者のように、どこかで自分を逆説的に客観視していくことなっていくかも知れません。
橋龍吾『自信』
「そう在れるのは、 そう在りたいではなく、 そう在ると思う者。 願望はどこまでも願望でしかなく、 魂の自覚とは別の回路。」
何かを学ぶということは、ただいたずらに知識を入れて増やしていくことだけではなく、自分をそっと捨てていくことでもあります。
その意味で、角川春樹という人は国文学を学んだ父とは正反対のやり方で、必死に何かを学ぼうとした人でもあったのかも知れません。
そしてそうした学びとは、何者かになりたいとった願望を充たすことではなく、ただただ「魂の自覚」を培っていくことに他ならなかったはず。これは今週のみずがめ座にとっても、ひとつの合言葉と言っていいでしょう。
今週のキーワード
魂の自覚