みずがめ座
ユートピアと現実のはざまで
もう一人のカンパネルラ
今週のみずがめ座は、さながら『銀河鉄道の夜』のカムパネルラとの出会いのごとし。あるいは、「自惚れに対する素晴らしき発見」をしていくような星回り。
宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』にはカムパネルラという子供が出てきます。
主人公の貧しく孤独な少年ジョバンニが敬愛する分身のような存在で、ある日溺れた少年を救うために死んでしまい、ジョバンニは彼とともに銀河鉄道にのって宇宙を旅行する不思議な旅に出ていく訳ですが、ここで思い起こされるのが、彼と同名のもう1人のカンパネラのこと。
ガリレオとも交流のあったルネサンス期イタリアの哲学僧トンマーゾ・カンパネッラは、今日において主に『太陽の都』というユートピア小説の著者として知られています。
地球も星も宇宙もすべて感覚を有しており、その中でいかに人間が卑小な存在であるかを説いたのですが、彼が残した多くの詩篇の1つである「自惚れに対する素晴らしき発見」にはそうした彼の思想が端的に表されています。
「自惚れは信じやすき人間をして、万物も星もそれらがわれらより強く美しいものにも関わらず、感覚も愛も有せざるものと信じさせ、ただわれらのためにのみ回転すると信じさせり。さらに、われら以外のものはすべて野蛮で無知にして、神はわれらのみを眺め給うと信じさせ、かつまた、神は僧職にあるもののみを救うと信じせしめり。かくして、各人はただおのれのみを愛するに至れり」
これは当時、僧職にある者たちが魂の救済において特権化されていたことへ彼が厳しい批判を向けていたことが背景にあるのですが、どこか今のあなたが立たされている背景や文脈にも通底しているのではないでしょうか。
21日(木)に春分そして満月を迎えていく今週は、この世界では決して自分だけが特別ではないのだということを、改めて理屈ではない形で痛感させられる重要な契機となっていきそうです。
「不完全なる虫」
賢治の作品において、銀河鉄道とは「死者の列車」であり、カムパネルラも「死者」で、乗り合わせた乗客はすべて死者、鉄道もまた死後の銀河をめぐっていました。
それは一種のファンタジーであり、かつてもう1人のカムパネルラが夢想したユートピア思想のごときはかない夢に過ぎないのだとも言えます。事実、ジョバンニが夢からさめると、カムパネルラは川に落ちた少年を助けようとして死んでいたのですから。
けれど、賢治にしろカンパネッラにしろ、そうした死者の夢とつねに隣り合わせに生きていた人間であったがゆえに、生者としての自分たちは「不完全なる虫にして、いやしき生き物」であり「世界の体内に巣食いて生きるもの」なのだとして、少なからず通い合っていたのでしょう。
彼らのあいだに自分は立てるだろうか。そんな夢想を今週は胸に抱いてみるといいかもしれません。
今週のキーワード
宇宙感覚と生命感覚を基準にする