みずがめ座
「“バーチャルリアリティ”をどう訳す?」
「仮想現実」か「実質的な現実感」か
今週のみずがめ座の星回りは、明滅する発光ダイオードが組み込まれたゴーグルと、微妙に左右やリズムを変化させるパルス音を出すヘッドセットによって、一気に拡大していくインナーリアリティーを前にした人のよう。
かつてゲーテは「感覚は誤ることはない、判断がそれを曇らせるのだ」と述べましたが、現代においては、もはや懐古的なノスタルジーを漂わせる視点となった言わざるを得ないでしょう。
むしろ感覚の誤謬は、通常の感覚体験を増産させていくことで、ポジティブな意味合いを見出されてきています。
感覚と判断、仮想と現実の埋めがたいギャップを前に、ゲーテ的な繰り言をつぶやき続けるのか、錯覚や幻覚という避難所に停滞させていたもう一つの世界像と、スリリングに向かい合っていくのか。
あなたはそのいずれかを選択していくことになるでしょう。
「できないことができるって、最高だ」
そもそも私たちが認識している「現実」とは何なのでしょうか。
1つの捉え方として、「受容した外部的感覚や内部的知覚を統合した合成物」であるという見方が挙げられます。
つまり、さまざまな情報材料をもとに、最終的に脳に描き出された絵図こそが現実である、と。仮にそうだとすれば、外部的もしくは内部的な知覚処理のどちらかに人工的な操作を加えることで、もう1つの現実が創れるという訳です。
もし目が見えないなら、目が見える人に視覚情報を伝えてもらえばいい。鼻がきかなければ、匂いにまつわる例え話をうんと聞こう。ファンタジー不足なら、神話や映画を摂取しよう。
受け身で不快な現実をただ受け入れていくのではなく、望む現実を創り出すことにしよう。
今年発売された「Playstation VR」と連動してながされたCMでは次のようなナレーションが流れていました。
「例えば、僕らは手からビームを打つことができる。 空を自由に飛ぶことだってできる。好きなだけ車を持つことも、神がかったシュートを打つことも、180キロのストレートを投げることも。 僕らにできないことなんてない。 僕らは想像力を爆発させて、世界を救うことだってできる。 さあ、始めようぜ。今まで絶対にできなかったことをしよう。 誰にだって、できるんだから。」
今週のキーワード
できなかったことをできるようにするための想像