みずがめ座
闇に差し込む月の光
ヴィパッサナー瞑想の苦しさ
今週のみずがめ座は、さながらヴィパッサナー瞑想のコース参加者のごとし。すなわち、いわゆる「降りてくる」のを開いた状態で待っていることの大切さを噛みしめていくような星回り。
ヴィパッサナーとは「物事をあるがままに見つめる」という意味で、インドの最も古い瞑想法とされ、釈迦が菩提樹の下で悟った際にも実践されていたとされる技法。その内実は、ただひたすらに自分の呼吸および身体感覚を静かに観察し続けるというもの。
現在、日本には2か所の瞑想センターがあり、10日間の合宿コースで瞑想法を学ぶことができるのですが、その際、参加者は基本的に一切の会話、独り言、メモ、他人と目を合わせることが禁止され、文字通り五感以外のほとんどの情報を遮断した状態でほぼ一日中瞑想に励むことになります(食事と洗濯、軽い運動、シャワーや風呂などは可)。
ただ、これが実にしんどい。個人的には、思いついたことをメモできないことが一番つらかったのですが、今週のあなたもまた普段ならしてしまいがちな中途半端なアウトプットや無駄話を一晩でもいいので一切やめてみるといいでしょう。
実際やってみると、普段どれだけ自分で自分の邪魔をしているのか、みずからを疲弊させてしまっているのかがよく分かるはず。
その意味で、「降りてくるのを待つ」ということは、どれだけ自分を妨げないでいられるか、ということでもあるのです。
『神曲』とダンテ
ヴィパッサナー瞑想を始めてしばらくの間は、心が無になるどころか、過去に封印した記憶が次々と浮かんできて、その中には思い出したくない記憶の浮上に苦しむ人も少なくありません。
そんな時の心境は、さながら、ダンテの『神曲-地獄篇』の次のような一節に近いものがあるかもしれません。
「ひとのいのちの道のなかばで、
正しい道をふみまよい、
はたと気付くと、漆黒の森の中だった。」
人は折に触れて人生を振り返り、静かな内省へと入っていきます。ちょうど『神曲』を執筆した当時のダンテも、政治抗争で敗れ故郷フィレンツェを追われた孤立無援状態で、まさにお先真っ暗でした。
そこで自暴自棄になることなく己の半生を振り返り、まさに開いた状態で「降りてくる」のを待ち続けたことで、文学史上に不朽の名声を轟かすことになる畢生の大作を著したのですから、人生何がどう転ぶのかは最後まで分からないものです。
20日(水)におとめ座で満月を迎えていく今週は、みずがめ座のあなたにとってもそんな人生の岐路にふと差し掛かるかもしれません。
くれぐれも腐らず、暗い胸の闇路をとことん辿ってやるくらいのつもりで行くといいでしょう。
今週のキーワード
六趣輪廻の因縁は、己が愚痴の闇路なり。