おとめ座
苦しみの根源へ
女人の業
今週のおとめ座は、「減罪の寒の夕焼法華尼寺」(津田清子)という句のごとし。あるいは、いかに生きるべきか、そんなことを考える頃合いではなくなってきたような星回り。
奈良県の法華寺は、奈良時代には日本の総国分尼寺とされた由緒あるお寺で、別名を「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」と言いましたが、掲句もまた「罪」という言葉を持ち出すことで、女人の業のようなものを詠んでいるのでしょう。
夕焼けは四季にわたって詠まれる季語で、夕焼けだけだと夏の季語で鮮明で爽快で、明日への希望があり、秋夕焼けだとどことない物寂しさがありますが、「冬夕焼け」ないし「寒夕焼け」だと、空にかかる時間が一番短く、静脈に流れる血のように暗い紅色なためか、せつなさやはかなさ、怖さ、何より切迫感が感じられてきます。
たとえ法華寺にお参りしようとも、人はこの世にある限り、果てしなく業を重ね、救いのない世界を生きていかねばなりません。いや、業によって発生する因果応報の果ては、この世だけにとどまらず、あの世においても未来永劫、果てしなく続いていく。
それがこの世に生まれてきたということであり、突然会社をクビになったり、病気をしたり、恋に落ちたり、出家したりするのも、すべてこの「苦の世界」を生きるという意味では同じなのです。
8日に自分自身の星座であるおとめ座で「意識の危機(いい加減気付かないとヤバい)」を意味する下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、生きてこの世にあることの恐ろしさを改めて確かめていくべし。
よく生きることときちんと送ること
生きること――それは、死に絶えようとする何ものかを、わが身から絶えず追放することを意味する。生きること――それは、わが身の中の、またわが身に限らず、脆弱で古くなった一切に対して、容赦なく苛酷であることである。
生きるとはしたがって――死に逝く者、衰弱した者、歳を重ねた者への畏敬の念をもたないことではないだろうか?常に殺害者であるということではないか。――しかしながら、老いたるモーゼは言ったものだ。「汝殺すなかれ!」と。(『喜ばしき知恵』、村井則夫訳)
「生きる」という事態をめぐるニーチェの考察を援用するなら、掲句の「寒の夕焼け」というのも、こころの中の「死に逝く者」や「衰弱した者」、そして「歳を重ねた者」を殺すことなくあの世へと送っていく際の普遍的な心象風景のようにも思えてきます。
その意味で今週は、自分の中でいま死につつあるものと、それを超えて生きようとするものとの葛藤を通して、腑分けと昇華のプロセスを進めていくことがテーマとなっていきそうです。
今週のキーワード
苦の世界の処世術