おとめ座
建設的であるために
「人道」を歩む
今週のおとめ座は、自然と作為の調和を説いた二宮尊徳のごとし。あるいは、自分にとっての「人間らしい生活」を再建させていくような星回り。
東北の厳しい自然の中で、飢饉と向きあいながらも「自然に帰る」ことを主張した安藤昌益に対して、関東を舞台に荒廃した農村を立て直し、経済再生を成功させた二宮尊徳は昌益のように全面的に自然に従うというのではなく、自然に従いつつも、そこにかならず人間の工夫を入れていくことを大切にしました。
尊徳によれば、自然そのものに善悪はない。災害や疫病にも何の意図もありはしない。そして、風雨を避け寒さや飢えをしのぎ生きていくのに必要な満足を充たしていくためには、自然任せにするだけではダメで、こうしたいこうなりたいといった生活上の「意図」を明確にしたうえで、一つひとつ自らの手で実現させていかねばならない。それを彼は「天道」と区別して「人道」と呼びました。
薪を背負って歩きながら本を読む、昔ながらの「勤勉さ」の鑑として、どうしても封建的で古臭い道徳の権化のように思われがちな二宮尊徳ですが、説いている内容に目を向ければ、きわめて合理的かつ実践的であり、今こそ再発見されるべき思想家のひとりと言えるかも知れません。
8日におとめ座から数えて「自分なりの経済」を意味する2番目のてんびん座で、満月が起きていく今週のあなたもまた、周囲との比較や世間一般の価値基準は脇におき、まず自分が価値を置いている生活上の需要から改めて充たしていきたいところです。
セネカの問いかけ
こうした二宮尊徳と併せて思い起こされるのは、ローマの哲人セネカの『人生の短さについて』という著書。タイトルに反して70歳を超えるほどの長生きしたセネカですが、この本の中で繰り返し述べているのは、人生はみなが思っている以上に短くはないし、時間の使い方次第で相当のことができるが、自分の時間を生きていない者はその限りではない、ということ。
「何かに忙殺される者たちの置かれた状況は皆、惨めなものであるが、とりわけ惨めなのは、自分のものでは決してない、他人の営々とした役務のためにあくせくさせられる者、他人の眠りに合わせて眠り、他人の歩みに合わせて歩きまわり、愛憎という何よりも自由なはずの情動でさえ他人の言いなりにする者である。そのような者は、自分の生がいかに短いかを知りたければ、自分の生のどれだけの部分が自分だけのものであるかを考えてみればよいのである。」
自分の教え子に自害を迫られたセネカは、最後に何を思ったのでしょうか。そういう意味では、彼の人生そのものが今週のおとめ座の人たちへの問いかけのように思えてきます。
今週のキーワード
みずからの生を自分のものにしていくこと