おうし座
他者へ開かれるということ
ほろ苦く熱した息遣い
今週のおうし座は、「怒らぬから青野でしめる友の首」(島津亮)という句のごとし。あるいは、他者に開かれることによって、新領域をちらりと見ていくような星回り。
他愛もないじゃれ合いのようなものとも読める掲句だが、しかし「怒らぬから」くらいの理由で、人の首を絞めるなんてことがあるだろうか?
この句には、「炎天へ真紅な國へ逃げころぶ」という句が続いている。すると、にわかに掲句を支配しているのが、爛爛たる陽を浴びた地上の若者二人の、汗の匂いさえ立ち込めてくるようなほろ苦く熱した息遣いであることが分かってくる。
そうして彼らは日常社会における文脈から解き放たれ、禁断の領域へ足を踏み入れることを願っていたのかもしれない。
今週のあなたも、どこか掲句のような明白な不思議へと一歩踏み出していくようなところが出てくるように思われる。
人間関係とその帰結
旧約聖書には、力強きサムソンがぶどう園のそばを通りかかったとき、一匹のライオンと出会い、それを素手で倒したという話が出てきます。ライオンの死体には蜂が群がり、サムソンは蜜を集めて持ち帰り(「強き者より甘きもの出たり」)、父母に与えたました。
蜜は「神々のたべもの」であり、桃太郎のきびだんごのように「再生」の力を与える神具で、つまりここでは蜜蜂とは「神の使者」なのです。
彼らはどこからかサムスンとライオンの1件を察知して駆けつけ、そこで為すべきことを為して巣へと帰っていった訳ですが、蜜蜂の巣はその形からキリスト教世界では「教会」ないし「墓」の象徴とされ、すなわち「預言」ないし「死」を連想させるものとされてきました。
あなたが帰るべきは預言をあずかる教会か、ひとつの終わりと共にあるお墓か。あるいは、あなたが運ぶのは人を歓喜か退廃に導く吉報か、人を恐怖か安堵に導く凶報か。
いずれにせよ、今週は他者に干渉していくことで初めて開けてくるものがあるはずです。
今週のキーワード
教会か墓か