おうし座
ほわほわした沈黙
寡黙な2人
今週のおうし座は、『彼一語我一語秋深みかも』(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、余計な言葉がますますそぎ落とされていくような星回り。
「彼」が一言ぽつりと言った。「我」もぽつりと答えた。それきり2人とも黙ったまま佇んでおり、あたりはしーんと静まりかえった。秋の気配がよりいっそう深まってきたことだなあ。
おおよその句意としては、こんなところでしょうか。「彼」が誰で、「私」といかなる関係にあるのか、そしてここでどんな言葉を交わしたのかは分かりませんが、寡黙な2人が満ち足りた時間を過ごしていることは伝わってくるはず。
まるで秋という季節の深まりが、そのまま2人の長い友情や共にしてきた年月の厚みを反映しているかのようでもあり、もはや互いの「一語」があればすべて事足りるのだと言わんばかりです。
あるいは、交わす言葉さえもいらなくなって、ついに2人のあいだにはもはや沈黙だけがあって、それですべてが通じあい、気持ちも満たされているような、そんな理想形の手前の、最期の痕跡を示しているのだという風にも解釈できるかもしれません。
11月1日におうし座から数えて「イコールパートナーシップ」を意味する7番目のさそり座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、今こそ深めるべき沈黙を肌で感じとっていきたいところです。
「ほわほわしたもの」としての心
現代社会では、まるでみながみな心理学者や精神医学者にでもなったかのように、「〇〇はメンタルが強い」とか「〇〇は精神的によくない影響を与える」などと語りがちであり、ともすれば「精神」や「意識」、「動機」や「気質」などの抽象的な概念で心を扱おうとする傾向があるように思います。
とはいえ、日本には「心づくし」「心おぼえ」「心あてに」「心付け」などといった和語もあったように、心というのは歴史的に「察するもの」であったり、「ふと」その痕跡や温度を感じたりするような、もっと「ほわほわしたもの」であったのではないでしょうか。
例えば、英語やドイツ語などのヨーロッパの言語とは違って、日本語というのは母音と子音がはっきり分かれていないという特徴があります。
これは両者の空間感覚にも反映されていて、子音を強調するヨーロッパにおいては、建物の壁もぶ厚く、外からはっきりと区別された内部空間をもった造りになっているのに対して、日本人のつくる家や建物というのは内と外をそれほど区別してきませんでした。庭の文化があって、生け垣をつくったり、部屋の中にいても外が体験できる造りになっている。こういうことも、やはり「ほわほわしたもの」としての心の感覚と通底している訳です。
その意味で、今週のおうし座もまた、自分のものであれ他者のものであれ、心をなんだか固くてゴツゴツしたものとしてではなく、もっと出没自在でいたずら好きな妖精のようなものとして扱ってみるといいでしょう。
おうし座の今週のキーワード
内と外との区別を薄くする