おうし座
ひらりふらり
諷刺と鎮魂
今週のおうし座は、『じゃんけんで負けて蛍に生まれたの』(池田澄子)という句のごとし。あるいは、重い内容こそ明るく楽しく詠おうとしていくような星回り。
「蛍に生まれ」てしまった由縁が、「じゃんけんで負け」たことであるならば、人間が人間として生まれてくることになったそのきっかけというのも、じゃんけんで勝った程度のことなのかも知れません。
これは人間が他の生物と比べて特別に優れた存在であるという、なんとなく広く共有されている思い込みに、作者があまりとらわれていないということの現われでもあります。むしろ、「じゃんけん」の勝ち負けというある種の偶然で左右される程度の差しかないどころか、人間の種としての優位性など容易に逆転されうるものであることへの直感が、作者の精神の根底に横たわっているのではないでしょうか。
とはいえ、そういうことを難解な言葉で仰々しく言われたのでは、なんだかお説教されているようで、反論の一つでもしたくなってしまうというもの。ところが、同じ内容でも掲句のように軽い話し言葉で言われると、腹の奥では納得できていなくても、思わず「きっと、そうなんだろうね」と答えてしまいたくなるのですから、人間というのはつくづく不思議で厄介なものです。
人間が人間として生きて在ることの業の深さに対する軽妙な諷刺なのか、裏返しの鎮魂なのか。おそらく掲句はそのどちらでもあるのではないでしょうか。
8月5日におうし座から数えて「自己表現」を意味する5番目のおとめ座に金星が入ってゆく今週のあなたもまた、心の奥底に抱えてきた生霊のような声が、おのずと表面にまで浮かんできては、ふっと飛び出してくるように感じられてくるはず。
茨木のり子の「居酒屋にて」
この詩は他者の発した言葉に反応して書かれたのであろう『人名詩集』という詩集のうちのひとつで、文字通り居酒屋にて、源さんという男がこんな風に言っていたのだそうです。
俺はもう誰に好かれようとも思わねえ/いまさらおなごにもてようなんざ/これんぽんちも思わねえど/俺には三人の記憶だけで十分だ!/三人の記憶だけで十分だよ!
汽車をまつあいだの時間にふらりと入った居酒屋で、ふいに耳にした一言を受けて、作者は詩を次のように締めくくります。
いくばくかの無償の愛をしかと受けとめられる人もあり/たくさんの人に愛されながらまだ不満顔のやつもおり/誰からも愛された記憶皆無で尚昂然と生きる者もある
最初の一節は、源さんがまさにそうであったところを詠み、次の一節はその対極にある者について詠み、最後の一節は。おそらく、よく知っているようで、名前の浮かばない誰かについて想像しながら詠んだのかも知れません。
翻って今週のおうし座のあなたもまた、自分はどの一節にあたるのか、またあたらないのか、ということを考えてみるといいでしょう。
おうし座の今週のキーワード
言葉は種、育てるのは自分