おうし座
これぞ我が心の真実なり
心ひそかに誇るということ
今週のおうし座は、『行春を近江の人とおしみける』(松尾芭蕉)という句のごとし。あるいは、自分(たち)なりの「見どころ」を発見していこうとするような星回り。
待ちに待った春がついに終わってしまう名残惜しさを表す「行春(ゆくはる)」の語は、ここでは「暮れて行く春」の省略。とはいえ、江戸時代当時すでに、この表現はよく使われていたものだったので、この句のおもしろさは「近江の人と」にあることになります。
近江は晩年の芭蕉にとって、しごく居心地のよい地であったようで、この句も琵琶湖のほとりで、舟を浮かべて湖畔の暮春を俳人仲間たちと惜しみあっていたのでしょう。
この1年前は、ちょうど『おくのほそ道』の旅に出発するときで、「行春や鳥啼(なき)魚の目は涙」と詠んでいます。命がけのつもりで江戸を出た旅の1年後に、こうしてゆったりと湖水が一面にうち霞んでいる景色を拝むことができている。そのなんてぜいたくなことか、という気持ちがあったのかも知れません。
さらに、芭蕉は和歌の世界で尊ばれてきた「都の春」に対抗して、明らかに意図的に「近江の春」を打ち出しています。それは俳人として、あくまで和歌とは異なる別の見どころを発見しようとする気概のあらわれであり、その意味で、「近江の春」は芭蕉が見つけた優雅なる故郷だったのでしょう(芭蕉の墓は出身地である伊賀ではなく、大津の義仲寺にある)。
4月24日におうし座から数えて「見出し、見出されること」を意味する7番目のさそり座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、これこそ我が発見した成果物なりと、心ひそかに誇っていくべし。
幻想こそ真実
フロイトは晩年期に書かれた『幻想の未来/文化への不満』において、「宗教的な観念とは、経験の集積や思考の最終結果ではなく、幻想であり、人類の抱いているもっとも古く、もっとも強く、もっとも差し迫った願望の現実だ」と述べています。
つまり、フロイトはここで、ひとびとがさまざまな場面で他者へ投影したり夢のなかで具現化していく幻想は誤謬(ごびゅう)などではなく、むしろ切実な願いを芯に含んでいる大切なものであるとの考えを強調しているんですね。
彼によれば「宗教」の本質は、人間の無力さや罪深さをめぐる感情の中にではなく、そうした感情から救われようとする人々の願いにこそあるものと考えられているのだとも言えます。
そういう意味では、たとえ堅実を旨とするおうし座の人であっても「自分は現実的な人間だ」と考え、夢や幻想の意味や価値を否定する人ほど、フロイトの立場からすれば自己欺瞞的な訳です。
その意味で、今週のおうし座もまた、自分が切実に願っているものは何なのかということに、少なからず光が当たっていくことになるでしょう。
おうし座の今週のキーワード
ホモ・レリギオス(宗教的動物)