おうし座
死者とともに
風のように私を通過していくもの
今週のおうし座は、喉元に死者がいるよう。あるいは、自分自身をひとつの「器」とみなし、そこに宿っていく言葉を通して死者とのつながりを感じ直していくような星回り。
被災者であれ自殺志願者であれ、生きるか死ぬかというギリギリの状況にある人に対して、日本社会がもはや官民を問わずただ「がんばれ」と言うしかなくなってしまったのは、単に言葉をかける側が相手の直面している事態をめぐる想像力が乏しくなっただけでなく、そもそも死者というリアリティが分からなくなってしまったからではないでしょうか。
では、もし自分がそんな風になってしまっていたとすれば、一体どうすればいいのか。例えば、インドの地域研究を専門とする中島岳志は、ヒンディー語の与格構文という構文に言及しつつ次のように述べています。
ヒンディー語では、「私は、ヒンディー語を話すことができる」は、「私にヒンディー語がやってきてとどまっている」という言い方をするのです。「私」という主体が言語というものを能力によってマスターし、それによって私が主体的に言語を話しているのではないのです。(…)では、言葉はどこからやってくるのか。それは、過去からであり、死者からです。過去や死者からやってきて、私にとどまり、そして私の中を風のように通過してこの口を伝って言葉が出てくる。そうとしか思えない、ということがヒンディー語の中に与格構文として組み込まれています。ヒンディー語を勉強し、そのことを知ったときに、さすがインドだなと思いました。(『現代の超克―本当の「読む」を取り戻す―』)
中島は、誰かと話しているときにふと言葉が口からついて出て、それに慄くときの感覚について「喉元に死者がいる」という言い方もしているのですが、慄くとともに「少しほっとする」のだとも言います。それは、自分がひとり単独の存在ではなく、死者と言葉を通じてつながり、ともに生きていることを感じられたからでしょう。
4月21日に自分自身の星座であるおうし座で木星と天王星の合(幸運な驚き)を迎えていく今週のあなたもまた、そうした「喉元に死者がいる」という感覚を何気ない瞬間に思い出していくことになりそうです。
大説に対する小説
ヒンディー語の与格構文に近いニュアンスを感じさせるものとして、「小説家」という肩書きがあります。かつてどこかで、やはり小説家の高橋源一郎が「小説を書いて作家というのはつまらない。小説は「大説」に対する小説だから」と述べていたことがあります。
「大説」というのは仏教の経典であったり、大上段から天下国家を語ったりするものですが、それに対して「小説」というのは本当に小さなことをあえて取りあげていくのだと。
それはつまらないものでございますという卑下であると同時に、声なき人たちの声を聞き、名もなき人たちのところに視点を置いて、人間のもっとも弱い部分、一番みじめな部分を拾い上げていくことで、結果的にそこに光を見出していくのだという自負であり、それこそが物語や小説の得意としていることなのだと。
その意味では、小説家というのはじつに死者に親しみ、彼らの声と向き合うプロなのだとも言えるかもしれません。今週のおうし座もまた、そんな「小説家」たらんと、自己顕示ではなく、あくまで自分という器にスルッと宿ってくるものにこそ焦点を当てていくべし。
おうし座の今週のキーワード
「私が」ではなく「私に」