おうし座
おのれを時間として展開すっぺや
物語の繋ぎ目にて
今週のおうし座は、「どんな物語にも終わりは来る」という厳然たる事実のごとし。あるいは、何を終わらせ、何を語り継いでいくべきかを見定めていこうとするような星回り。
こんな経験はないでしょうか。夜中にふと目覚め、自分の存在が永遠になくなる瞬間が今にも迫っているという予感がして、ベッドで身動きできなくなる。あるいは、いつこの世から消えてもおかしくない存在なんだと、不意に感じて立ち尽くしたり。
1967年に出版されたラテンアメリカ文学を代表する小説『百年の孤独』は、マコンドという蜃気楼の立ち込める村に住む開拓者一族・ブエンディア家の物語で、さまざまな出来事が永遠の輪廻のように起こり、そのどれもがじつに緻密に描かれています。
土地と人間とがほとんど不可分なほど結びついたこの村では、語るという原初的な力を持った衝動が、狂気に近い熱気をもって旺盛に紡がれていくのですが、それは100年に及ぶ物語の結末においてすべてが土埃と化し、消滅していく死が待ち受けていることを、家そのものが感知していたからかも知れません。
そのあいだにも、この物語において“死”はごく身近で、当り前のように起こり、登場人物たちは自分の死を自然の摂理のごとく、それぞれの仕方で受け入れていくのです。そうした態度はいつの間にか読者にも刷り込まれ、どんなに素晴らしい物語にもいつか終わりがくるという事実と、それを望む自分がいることとを受け入れられるよう促していくはず。
2月10日におうし座から数えて「到達点」を意味する10番目のみずがめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、ひとつ自分が「村の語り部」になったつもりで、よく見知った「家」の来し方行く末を眺め渡してみるといいでしょう。
ハイデガーの「時熟」
若い頃というのは経験の厚みがまだありませんから、考えごとをするのでも思索というより“思考”に近いと言えるかも知れません。
対する“思索”というのは、だんだんと「自分の人生」ではなくなってから初めて深まってくるもので、そうなってくると「人生について思索する」のではなくて、人生それ自体が自然と思索になっていることにハッと気が付いていくように感じられてきます。
20世紀を代表する哲学者であるハイデガーはそれを「時熟(じじゅく)」と呼びました。もとのドイツ語では「sich zeitigen」と表され、「zeitigen」は「熟させる」「(成果を)もたらす」を意味する動詞で、sichは「自分自身を」の意です。
ハイデガーは自分で作ったこの造語を「おのれを時間として展開する」という意味で用いました。つまり、時間であるところの人生が、おのずと熟し、自分が存在しているということをめぐる謎の味わいが発酵してくるとき、得も言われぬ奥深い味がしてくるのだと。
人間の魂というのは、どうしてもそういうものに惹かれてしまう。わかっちゃいるけど、やめられない。そういう意味で、やはり自分の過去というのは人間にとって最高のコンテンツなのです。
今週のおうし座もまた、「思索」が自然と深まっていくなかで、これまで汲み取り切れていなかった過去の意味が明確に浮かび上がってくるかも知れません。
おうし座の今週のキーワード
謎は蜜の味