おうし座
秩序をあきらめない
自己批判をこえて
今週のおうし座は、アミエルにとっての日記の位置づけのごとし。あるいは、いかにして「意識的な催眠」をかけ続けていくのかを問われていくような星回り。
スイスの哲学者アミエルは、30数年にわたって書き続けられた『内面の日記』によって、死後になってから世界的に知られるようになった人物でした。彼は少年の頃に孤児になり、生涯にわたり独身でしたが、ひたすら孤独な自己の慰めに、自身の苦悩、苦しみ、悲しみ、寂しさを、毎日毎日ノートに書き続けました。興味深いのは、その膨大な日記のある箇所で、アミエルが日記への批判を行っている点です。
日記は怠惰の枕である。すべての問題を論じないで済むし、同じことを繰り返してもよく、内的生活のあらゆる気まぐれや迂路を歩むことも、何一つ目的を立てずにいることもできる
一時の痛み止め、散らし薬、切り抜け策でしかない
しかし彼は日記を書き続けるなかで、こうした自己批判をも乗り越え、日記を通じてみずからの心身が鎮まっていく境地も経験していきます。
生きるとは日に日に治り新たになることであり、また、再び自己を見出し取り返すことである。日記は、孤独な人の打ち明け相手、慰安者、医者である
この毎日の独白は、祈りの一形式、精神とその原理の談話、神との対話である。これによってわれわれは、面目をすべて取り戻し、混沌から明晰へ、動揺から平静へ、散漫から自己統一へ、偶有性から恒久性へ、特殊性から調和へと立ち返るのである
こうした記述を読んでいると、日記とは意識的な睡眠のようなもので、そうしたプロセスを経てはじめて私たちは宇宙的な秩序へと回帰していけるのだという気がしてきます。
同様に、10月6日におうし座から数えて「反復」を意味する3番目のかに座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした何でもない地味な作業を毎日毎日続けていくことの大切さに改めて思い至っていくことになるかもしれません。
因果的不透明性に覆われた世界の中で
イギリスの人類学者ハーベイ・ホワイトハウスは、儀式の最も興味深い特徴の一つに、その「因果的不透明性」を挙げています。つまり、儀式には合理的な因果構造などないのだということ。
例えば、「スイッチを押せばライトが点く」ような単純な出来事であれば、原因と結果のつながり(因果構造)は明白ですが、「シャンパンのボトルを割ることと船の航海の無事」のような関係においてはそうしたつながりは想定しにくい。だから、その儀式を知らない異文化の人間には、ボトルを割るのを見ても何をやっているのか分からないし、そういう儀礼の存在を知ったとしても「どうしてそれで航海の無事が保証されるのかちっとも分からない」というのが本音でしょう。
ただ、人生で遭遇する事象のほとんどは、多かれ少なかれ因果的不透明性に覆われている。私たちは物事を単純化して見るので、ともすれば「努力すれば成功する」などと、日記に書きつけがちな訳ですが、ちゃんと生きている人であれば、努力したからと言って成功するとは限らないことをよく知っているはず。
逆に、因果的にコントロールすることができることなどほとんどないことを知っているからこそ、人は儀式に打ち込むのであり、日記をつけることも、それと同じことなのではないでしょうか。
今週のおうし座もまた、たとえ頼るべき法則や合理的方法が見出せなくても、迷信やジンクスにすがってでも、書くことを諦めず、日々を送っていくべし。
おうし座の今週のキーワード
何でもない地味な作業を毎日毎日続けていくことの大切さ