おうし座
今ここに留まるために
意識を飛ばさないでいよう
今週のおうし座は、『水澄むやあとはバトミントンでいい』(宮本佳世乃)という句のごとし。あるいは、離れてゆく隙間を埋めようと自分から動いていこうとするような星回り。
夏のあいだ濁っていた池や沼なども、秋になると底の小石まで透けて見えるようになってくる。水質だけでなく、大気も澄みわたって、急に世界がスッと伸び広がったように感じられて、なんだかむずむずもぞもぞ浮き足立ってくる。
「あとはバトミントンでいい」という弾むようなセリフも、そんなそこはかとない心許なさを言外で感じつつ、それを打ち消さんとして発せられた一種の景気づけのようにも思えますし、気遣いと自立心とが複雑に折り重なった大人なりの精いっぱいの甘えのようにも感じられます。
そもそも、バトミントンなんて遊びを遊びとして成立させるには、かなりの体力(余力?)と我慢強さ、そして何より親密さが必要とされますし、大人同士の表面的なお付き合いの文脈にはまず入ってくる余地のない選択肢でしょう。
逆に言えば、そういう遊びをあえて要求している思いきりだとか、秋という季節感に抗ういじらしさみたいなところが掲句の魅力なのだと言えます。
15日におうし座から数えて「童心」を意味する5番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、大人らしい付き合いに精いっぱいの抵抗を試みてみるべし。
1分間の行
とはいえ、童心に返るということは、実際にやってみようとするとなかなかに難しいものです。童心に帰るとは、過去でも未来でもなく、今この瞬間に生きることに他なりませんが、かつてモンテーニュもまた『エセー』の中で次のように述べていました。
ぼくたちはすこしも自分のもとにいないで、つねに自分の向こう側に存在する。不安や欲望や希望がぼくたちを未来の方へ押しやり、ぼくたちから、現に(今この瞬間に)存在していることについての感覚や考慮を奪い去る
おそらく、スッと伸び広がった分だけできた、まだ過去にも未来にも分類されていない領域も、普通に過ごしていればすぐにそのいずれかに振り分けられてしまうのでしょう。逆に言えば、掲句のバトミントンというのも「自分のもと」にとどまり続けるための選択肢のひとつだったのではないでしょうか。
すなわち、自分のもとにいられるのであれば、意識を向けるのは手元のコーヒーカップでも、窓の向こうに広がる街並みでも、観葉植物の葉の緑でも、あるいは心臓の鼓動でも構わない。いずれにせよ、今いる場所や目の前の光景のどれか一点に焦点を定め、ただただ静かにそこにどどまり続けることができるなら、たとえ1分間でも十分に抵抗たりえるはず。
今週のおうし座もまた、自分がどれだけ今この瞬間の光景に、立ち会う準備ができているか。心が落ち着く時間帯を見つけて、ぜひ確かめてみるといいでしょう。
おうし座の今週のキーワード
「よそ」ではなく「ここ」にただ、いる。