おうし座
変わりゆく自画像
直感的な相似の感取
今週のおうし座は、『素裸になつて欅にすこし似る』(大塚凱)という句のごとし。あるいは、過度にロマンティックでも卑屈でもない仕方で自画像を描き直していくような星回り。
日ごろ、いっとき物理的に「素裸(すはだか)」になることはあっても、“素裸な自分”を意識する機会というのはほとんどないのではないでしょうか。ましてや、それが別の何かと少し似ていると客観的に把握するなどということは、たとえ鏡に映った自分を幾度となく目にしていても、滅多にできないはず。
「欅(けやき)」と言えば、樹齢を重ねた大木が多く、どちらかと言うと秋の黄葉した姿や、冬の木立のイメージの方が強いですが、掲句はどことなく夏の緑陰を思わせます。
鬱蒼としげった木々の姿が、どことなく重ねてきた苦労の痕が刻まれ、くたびれ感の出てきたおのれの肉体と重なるのか。それとも、強烈な日差しを遮ることでつくり出される、涼しく、心地よい居場所感が、人生の道半ばにいたってようやくついてきた自身との折り合いを思わせるのか。
あるいはそれは、若く何もわかっていなかった時代が過ぎ、多少は目端がきくようになって初めて認識できるようになった、自身の身に差している影の濃さや深さのなまなましさが、特別美しくもなく、かといって枯れきってもいない夏の欅とダブってくるからかも知れません。
16日におうし座から数えて「家族的類似性」を意味する4番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、「自分と〇〇は似ている」という直感的判断をいつも以上に掘り下げていきたいところです。
異種混淆の宴
ここのところ、日本各地でコロナウイルスの感染者数が連続的に増加するなど、改めてわれわれ人間とウイルスが深くつながることで、「他の生物との合体や遺伝子の交換を繰り返すようなごった煮」状態が実現しつつあります。
腸内細菌や皮膚の常在菌など、人間が他の生物から厳密には独立していない以上、このような侵入はある意味で不可避の出来事なのですが、生命学者の中屋敷均は『ウイルスは生きている』の中で、そうした遺伝子の「ごった煮」状態は生命の進化においても不可欠だったのだとした上で、次のようにも述べています。
そこに他者と切り離した「自己」のような「純度」を求めるのは我々側の特殊性であり、生命に独立性を持ち得るものがあるとしたら、それは「我思う、故に我あり」とした我々の「観念」だけではないのかと思う。
その意味で、もしかしたら私たち日本人は、人間側の確固不変の独立した自我を打ち崩した先に広がる新しいリアリティへと開かれていく先頭に立っているのかも知れません。
同様に今週のおうし座もまた、他の星座の人以上に堅固になりがちなリアリティを打ち崩し、その書き換えを行っていくには絶好のタイミングと言えるでしょう。
おうし座の今週のキーワード
「我思う、故に我あり」など妄想にすぎない