おうし座
浸り浸られひたひたと
同じ息吹を共有するということ
今週のおうし座は、植物の葉の「浸る」働きのごとし。あるいは、自分が属している生息域/生態系全体を根本から支えていこうとしていこうとするような星回り。
「植物について問うとは、世界に在るとはどういうことか理解することにほかならない。植物は、生命が世界と結びうる最も密接な関係、最も基本的な関係を体現する」と語ったのは現代イタリアの哲学者コッチャでした(『植物の生の哲学ー混合の形而上学ー』)。
植物の葉からは酸素や水蒸気が放出され、それは人間をふくめた地球上の動物たちの肺に吸収されていきます。植物が供給者で、動物が需要者となる訳ですが、両者は競合しあわず、むしろ共生しあっています。
植物の葉が支えているのは、その葉が属する個体の生命だけではない。その植物が表現形として最たるものであるような生息域の生命、さらにはその生物圏全体までもが葉に支えられて生きている。
こうした葉の働きに象徴される植物の存在形式について、コッチャは「浸る」という独特の言葉遣いで説明しています。すなわち、「浸るとはまずもって主体と環境、物体と空間、生命と周辺環境との、相互浸透という<作用>」なのであり、「世界のうちに存在するとは、アイデンティティを共有するのでなく、常に同じ<息吹(プネウマ)>を共有することだ」なのだ、と。
植物は何百万年の昔から、この世界で関わりあうさまざまな他者に、それぞれが互いに完全に融け合うことなく、交差し、混合する可能性をもたらしてくれてきた訳で、これはともすると相手から何かを一方的に吸い上げ、受けとろうとしがち(またはその逆)な人間の在り様とはじつに対照的です。
6月4日におうし座から数えて「深い関わり」を意味する8番目のいて座の満月に向け月が膨らんでいく今週のあなたもまた、自身の活動や関係性にさりげなく植物特有の「浸る」ような動きを取り入れてみるといいでしょう。
熊楠の自己同定
ここで思い出されるのが、卓抜した粘菌の研究者であり独学の人であった南方熊楠(みなかたくまぐす)です。彼は亡くなる2年前の昭和14年3月10日付の真言僧・水原某宛ての手紙の中で、「小生は藤白王子の老楠木の神の申し子なり」と述懐していました。
「藤白王子」とは藤白神社のことで、熊野の入口と言われている場所。熊楠はこの神社の楠の大木から「楠」の名を授かり「熊楠」と命名されたこともあって、その木をみずからの生命の根源と見なし、自分はその老楠から生まれ出た粘菌人間と思っていたのではないかと思われます。
このことは、単に彼のセルフイメージやアイデンティティといった内面的な話だけに留まらず、のちに彼が鎮守の森の伐採とセットであった神社合祀への激烈な反対運動へと駆り立てられていく原動力ともなっていきました。熊楠にとっては“たかが木一本”という判断さえも決して容認することはできなかったのであり、ここには明らかに樹木と人間との「浸り」的な関わりの痕跡がうかがえます。
今のあなたには、彼ほどに深く自己同定しえるものが何か思い当たるでしょうか?生まれた土地、付けられた名前、込められた思い、宿った縁。今週のおうし座は、そういった普段なかなか掴みきることのできない自己の背景をずずいと辿ってみるといいでしょう。
おうし座の今週のキーワード
半人半木