おうし座
あそびのある身体を
拘束具を脱いでいく
今週のおうし座は、「野性体(遊体)」への回帰の試み。あるいは、「身体の調教」という社会文脈から脱していこうとするような星回り。
かつてフーコーが「社会の軍事的な夢」として概念化した、身体調教を通して人間主体の奥深くにインダストリアス(勤勉な、しかし機械的)な精神をうえつけ、自動的かつ自発的に社会秩序ができあがるようにしようとする近代社会特有の傾向について、哲学者の古東哲明は「<従順体>への改造」と呼びました。
本来は「野性体(遊体)」でしかない身体を、容易に操作可能な在り方へ変えてしまう。そうした改造がすすめば、「かつてのような暴力的外圧(大権力)によって、各主体を抑圧する手間がはぶける」と。
例えば、近代社会が作り出した諸施設(学校、兵舎、工場、病棟、刑務所、学寮)というのは、みなそんな身体改造(サイボーグ化)のための調教装置であり、そこで私たちはさまざまな「身体図式」をインプットさせられていく訳ですが、一方で私たちは半ば本能的に踊りや体操であったり、瞑想や座禅などの宗教的な身体行など、社会や会社のもとめる生産性とは無縁な活動を通して、すっかり規格化され、抑圧された身体の「野性体(遊体)」としての本質をいま一度活性化したり、身体を従順体へと改造するプログラムコードを無効化しようともがいているのではないでしょうか。
その意味で、4月6日におうし座から数えて「習慣」を意味する6番目のてんびん座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、すっかりやせ細って魅力を失ってしまった近代社会的なリアリティを切り崩すべく、どうしたら「身体の調教」という拘束具を脱ぎ捨てられるのかということに、改めて取り組んでみるといいかも知れません。
身体観の推移
今から20年以上前、村上春樹は自身の唯一のメンターでもあった河合隼雄との対談(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』)の中で、昔の文士たちというのは、自分たちは精神の仕事をしているのだから、体なんか関係ないと無視したり雑に扱ったりする傾向があったけれど、今は時代が変わってきて、体をきちんと丁寧に扱って鍛えていくことで文体を練り上げ、物語を引き出していくという風に変わってきているのだと述べています。
例えば、「気持ちよくあり続ける」ということは案外むずかしくて、それなりの努力を払い、コツを見つけなければならない一方で、そこをドラッグとかさっさと恋人をつくるとか、手軽な方法で済ませてしまおうとすると、どうしても妄想や暴力性を孕まざるを得なくなってしまう。そこをどうするかという、柔らかい倫理のようなものが必要なのだと。
こうした指摘は現代においてますます切実さを伴ってきているように感じますが、いわゆる既存の成功方程式だとか、つい最近まで通用していた「これが正解」みたいなものがまたたく間に通用しなくなってしまう現代社会において、「身体性の復活」とは即ち、そうした人としての「柔軟性」であったり、多様なエネルギーの生み出し方の引き出しだったりということと深く関係しているように思います。
今週のおうし座もまた、身体性を無視してただ精神だけで壁を乗り越えようとするのではなく、改めてどうしたら自分の生きている物語に「体を入れていけるか」ということに取り組んでいくことがテーマとなっていきそうです。
おうし座の今週のキーワード
語る言葉の中に体を織り込んでいく