おうし座
春と茶番とわたし
不思議なまでの気前の良さ
今週のおうし座は、「生前堆肥化」の促進期間。あるいは、人間のいかんともしがたい狭量さを克服すべく、改めて異種とズブズブの関係になっていこうとするような星回り。
奈良県宇陀市の里山で、他の生物たちとズブズブになりながら自給自足の生活を送っている東千茅は、人間による異種との共生への取り組みを「堆肥化」と呼んでいますが、その言葉や計画に触発されるかたちで小説家の吉村萬壱が書きあげた『堆肥男』という、徹底的に無為な生活を送る中年男性をめぐる短編があります。
話は主人公である春日武雄の向かいの部屋に、パンツ一丁で部屋のドアを四六時中あけはなっている中年の男性が引っ越してきたところから始まります。当然、雨風だけでなく虫も獣も入りたい放題なのですが、男性は一向にそれに構う気配はありません。
そして、それを当初は「曖昧な不安」とともに眺めていた虫嫌いで潔癖症だった主人公も、仕事の不如意という偶然もあって、次第にこの男性の鷹揚(おうよう)ぶりに惹かれていくのですが、東自身もこの物語について「人間の嘘と欺瞞(ぎまん)に元来我慢ならない性質の春日と、人間を超えたところにいる男性」という構図で捉えつつ、パンツ一丁の男性の不思議なまでの気前の良さが主人公をなぜだか元気づけていくストーリーなのだと捉えています。
物語の終盤、春日武雄は部屋の扉を開けるようになる。つまり、春日は堆肥男と接触することで感染し、堆肥化への第一歩を踏み出した。堆肥男は、ただ開け放った部屋で怠惰に寝転び、異種たちと戯れつづけることによって、周りの者を惹きつけ、感化してしまったのである。
27日におうし座から数えて「生きがい」を意味する2番目のふたご座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな生前堆肥化の道を半歩でも歩まれてはいかがでしょうか。
春のほろ苦い味わい
もし他の生物をモノとして扱う代わりに、あらゆる生きものを平等と見なすことが出来たなら、いかに私たち人間が日頃何気なしに凶行を働いているかが痛感されてくるはず。
仮に人間の生がそれ自体悪だとするのなら、あらゆる生き物たちが一斉にその命あることを謳歌する春という季節は、いくら美辞麗句やファンタジーで文化的に飾り立て、高度な隠蔽に心血を注ごうとも、ただ「生きる」ということが他の生き物のおびただしい数の死によって支えられているという紛れもない現実に最も間近で触れていかざるを得ないタイミングでもあるのではないでしょうか。
春はほろ苦い。菜の花や山菜たちの苦味のせいだけではない。春の容赦ない温もりの中では、冷たくねじくれた自分の性根が氷解してしまうように感じられるからだ。つねづね世界に一泡吹かせてやろうと企んでいるにもかかわらず、見え透いた甘い罠にまんまと掛かり、苦笑いしながら浮き立つ心を隠している。毎年くりかえす茶番だ。(東千茅『人類堆肥化計画』)
今週のおうし座もまた、とんでもない背徳の悦びの追求者として、率先してそうした「茶番」に参加していくことになるかも知れません。
おうし座の今週のキーワード
ねじくれた自分の性根を氷解させていく