おうし座
遠方をぼんやり眺める
辻占の一光景
今週のおうし座は、『五月雨や人語り行く夜の辻』(籾山庭後)という句のごとし。あるいは、自身が無意識のうちに身近な他者に投影しているビジョンが映し出されていくような星回り。
「五月雨」は旧暦5月の雨なので、現代では例年なら6月頃に降り続ける雨のこと。掲句ではそんな雨の降る湿った夜の辻を、何やら語り合いながらさっと通り過ぎてゆく2人を描いています。
もとより作者の関心はその会話の中身ではなく、「夜の辻」というこの世のものではない魑魅魍魎(ちみもうりょう)を含めて、何が飛び出してくるかわからない、異次元との接点のような場所にまるで予定調和のごとく訪れた人影に、深く感じ入るものがあったのでしょう。
その意味で、掲句を詠むという行為自体がある種の占い的な営みであると同時に、この句を一読した読者のこころに、どんな2人の姿や関係が映し出されるかが問われているのだとも言えます。そこにあるのは果たして、傘さえ差さず小走りに走り抜けていく若い男女か、それとも、揃いの唐傘をさして静かに歩きながら一言ずつ丁寧に発語しあう老夫婦か、それ以外の何かか。
16日におうし座から数えて「パートナーシップ」を意味する7番目のさそり座で満月を迎えていくあなたもまた、自身のパートナーシップに関する来し方行く末について深く感じ入るようなビジョンが浮上してきやすいでしょう。
二つの世界の呼応と調和をはかる
掲句の光景が湛えている抒情性は、どこか池澤夏樹の小説『スティル・ライフ』に出てくる「佐々井」という人物の雰囲気に通じるところがあるように思います。
この小説は、染色工場でバイトしている主人公の「ぼく」が、佐々井という宇宙の話をしたがる一風変わった男と出会い、とある不思議な仕事を頼まれるという短い物語で、「ぼく」は佐々井について次のような印象を持ちます。
少なくとも、彼はぼくと違って、ちゃんと世界の全体を見ているように思われた。大事なのは全体についての真理だ。部分的な真理ならいつでも手に入る。
ただ、人と人とが出会う現場には喜びもあれば失望や思い違いもつきものであり、「ぼく」は佐々井の「遠方を見る精神」に共感を覚えたものの、次第に見えてきた彼の現実的な顔に改めて距離を感じていくのですが、それでも、と思い直すのです。
大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
たとえば、星をみるとかして。
今週のおうし座もまた、こうした「世界の全体」を見る視点を忘れずに、自身をひとりの物語の登場人物に見立てて、物語の展開やあらすじの流れを俯瞰していくべし。
おうし座の今週のキーワード
「ぼく」と「佐々井」