おうし座
失楽園だったり砂漠世界だったり
執着と傷つきやすさを宙吊りに
今週のおうし座は、「失楽園らしくとうもろこしを焼く」(阿部青蛙)という句のごとし。あるいは、諦めと図太さのはざまで日常を楽しんでいこうとするような星回り。
神の禁を破り「善悪の知識の実」を食べたアダムとエバが楽園を追放されて以来、彼らの子孫である人間は神のいないこの地上世界での生を余儀なくされるようになり、私たちは大小の罪を犯し、それを悔いたり、忘れたりしながらどうにかそれぞれの人生を全うせんとしている。
掲句では、冒頭の「失楽園らしく」でそんな世界観を引き受けつつ、「とうもろこしを焼く」のだという。
そこにあるのは、ある種のあきらめなのか、それとも、開き直った者特有の図太さなのか。
いずれにせよ、聖書にもキリスト教の神にもあまりリアリティを感じない日本人にとって「失楽園」には言葉の響き以上の重みはあまり持っておらず、作者もそのことは分かった上でこの句を詠んだのではないでしょうか。
つまり、色々なことを反省したり、悔いたりする“ふり”をしながら、これからも私は生きていくし、とうもろこしだって焼いておいしくいただくのだ、と。
10日におうし座から数えて「サバイバル技術」を意味する3番目のかに座で新月を迎えていくあなたもまた、あらためて執着と傷つきやすさを適度に宙吊りにしていく術を学んでいきたいところです。
砂漠世界で浮き彫りになるもの
例えば、『少年と犬』(1975年、アメリカ)という映画は開始冒頭から「第四次世界大戦は5日間で終わった」というショッキングな宣言から始まるのですが、すべてが灰燼に帰した何もない砂漠世界という極端な設定によって、「諦めと図太さのはざま」ということがまさに浮き彫りにされていく映画なのだと言えるかも知れません。
砂漠のあちこちに埋まっている缶詰を求めつつ、主人公の少年ヴィックと犬のブラッドは放浪生活しているのですが、彼らの関係はペットと飼い主ではありません。放射能の影響か、ブラッドは高い知性や戦争前の世界についての多くの知識を有しており、完全にブラッドの方が「先輩」なのです。
彼はヴィック少年が「食うこと」と「セックスをすること」しか考えていないことに半ばうんざりしつつも面倒を見ており、かわいい女の子の尻を追いかけて突撃した豊かな地下世界が実は歪んだ奴隷社会のディストピア(そしてこれは現代社会への皮肉でもある)だと分かった末に、少年がようやく「自分の最良の友は犬だ!」となったところでこの映画は終わるのです。
今週のおうし座もまた、願わくばそんな少年のように、自分にとって大切なものが何であるかということに改めて気付いていくことでしょう。
おうし座の今週のキーワード
失楽園らしく