おうし座
終わりなきゲームを楽しむために
こちらは6月14日週の占いです。6月21日週の占いは諸事情により公開を遅らせていただきます。申し訳ございません。
有限ゲームと無限ゲーム
今週のおうし座は、「無限ゲーム」のフィールドの中での目覚めのごとし。あるいは、継続的で進化していく仕事に気が付いたら身を投じているような星回り。
宗教学者で無神論者のジェイムズ・カーズによれば、ゲームには明確なルールと定義された終わりがあり、勝つことを目的にプレイする「有限ゲーム」と、プレイし続けるのが目的であり、ルールに難があればゲーム遂行のために変えられなければならない「無限ゲーム」の少なくとも2種類があるのだと言います。
ゲーム・クリエイターのイアン・チェンはこうした区別を受けた上で、さらに「われわれにとって人生は、締め切り、取引、ランキング、日程、選挙、スポーツ、大学、戦争、ポーカー、宝くじといった有限ゲームに満ちている。有限ゲームで勝っても、ベース・リアリティ(実感の基礎)に立ち戻ることができず、その接点に介在する無限ゲームのフィールドの中で目覚める。われわれが無限ゲームに生きるのは、それが肉体的、精神的な健康とは無関係なベース・リアリティに意味をもたらすからだ」と述べています。
例えば、子供を持つことはクラシックな無限ゲームですし、会社を設立することも、オンラインでの人格を開発したり、架空のファンタジー世界をつくることもそうでしょう。
18日におうし座から数えて「遊び」を意味する5番目のおとめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、このように世界をある種のゲームとして捉えた上で、いかに有限ゲームの世界から脱け出していけるかということが一つのテーマとなってくるはず。
「是風」に「非風」を交ぜていく
歳をとることは可能性が限られていくことを意味し、できることや選択の自由も年々失われていく。「転職35歳限界説」などもそうですが、多くの人はやもすると歳をとることや衰えることを一面的に「ネガティブなもの=有限性」と考えがちです。
しかし「能」という芸術を完成させた世阿弥は、少年の愛らしさが消え、青年の若さが消え、壮年の体力が消え、といったように人生を段階的な喪失のプロセスとして捉える一方で、喪失と引き換えに何か新しいものを獲得するための試練としての「初心」を絶えず迎えていくのだと繰り返し述べています(つまり、有限ゲームを無限ゲーム化したのです)。
例えば、『風姿花伝』には「年来の稽古の程は、嫌いのけつる非風の手を、是風に少し交じうる事あり。」という文章がありますが、これは若年から老年にいたるまで積んできた稽古のなかには、「嫌いのけつる非風の手」すなわちこれまで苦手とし避けてきたようなこと、やるべきでないとされてきたことを、「是風」つまり得意にしてきたことや、好んでやってきたことの中に取り入れて交ぜてきた、という意味。
世阿弥にとって人生とは、こうした自由の境地を獲得していくためのプロセス=無限ゲームでもあったのです。今週のおうし座は、そんな世阿弥的な視点から自身の今後の指針を立ててみるのもいいかも知れません。
おうし座の今週のキーワード
初心に返る=ベース・リアリティ(実感の基礎)に立ち戻る