おうし座
葉と水の生み出す循環は
若葉の頃
今週のおうし座は、「滅びていかなければならない種族」のごとし。あるいは、自らにもいつか必ずやってくるであろうひとつの終わりについて思いを巡らせていくような星回り。
演出家として数々のドラマを手がけてきた久世光彦は、かつて太宰治の『人間主格』の主人公・大庭葉蔵と21歳の若さで自死を選び夭逝した作家の久坂葉子の二人の名を挙げて「滅びていかなければならない種族」と書きつけました。
私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも……神さまみたいないい子でした
というのが『人間主格』の結びでしたが、いずれの人物にも「葉」の字が現われ、久世はこの「葉」の字に頑迷なロマン主義を抱いているのだと漏らします。
花という文字が盛りと爛熟を想わせ、樹が直線と真摯さを連想させるならば、葉は私たちに何を想わせる?つややかな緑は若さであろうか。細く走る葉脈は勁烈さかもしれない。そして葉と葉の触れ合ってそよぐ音は、若さゆえの含羞にも聴こえる。
さらに久世は、川端康成の『雪国』の葉子や、有島武郎の『或る女』のヒロイン葉子などの名もこの「葉」の種族に加えた上で、彼らは「限りなく戦闘的でありながら心優しいインディアン」なのだとも言うのです。
5月4日におうし座から数えて「役割と使命」を意味する10番目のみずがめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、風にそよぐ「若葉」の一つとして自らの枯れどころや落ちどころを見定めていきたいところです。
「身を観ずれば水の泡」
これは一遍上人が残した八十六句からなる和讃(漢語のお経を日本語に翻訳した仏教歌謡)の第一句であり、第四句までは以下のように続いていきます。
消えぬる後は人もなし
命おもへば月の影
出で入る息にぞとゞまらぬ
仏教詩人の坂村真民氏の解釈に従って書き下すと、「この身をよく見てごらん、それは水の泡のようなものだ。泡はすぐ消える、人も同じだ。この命を思うてごらん、それは月の光のようなものだ。出る息入る息のほんのわずかな間も、じっととどまっていることはないのだ」となります。
一遍にとってこの身を以って生きるとは、すなわち一呼吸ごとに命をかけることであり、その意味で念仏とは入る(吸う)息でみ仏とつながり、出る(吐く)息でこの身を仏にしていくための手段であったのでしょう。
今週のおうし座のもまた、わが身の無常さではなく、その奥にある目に見えないつながりの方へとチャンネルを合わせてみるべし。
今週のキーワード
即心念仏