おうし座
何かが去って何かが残る
門としての人生
今週のおうし座は、「人入って門のこりたる暮春かな」(芝不器男)という句のごとし。あるいは、またひとつ自分が身軽になっていくような星回り。
作者は26歳で夭逝し、わずか4年の句歴で名を残した天才肌の俳人。掲句の「門」にも、どうしてもそうした作者の人生が重ねられていきます。
「暮春(ぼしゅん)」と言えば普通は春という季節が終わろうしている頃合いを指すので、すこし気の早い季語ではありますが、「春の夕ぐれ」という意味にも取れるかと思います。
そうだとすれば掲句の大意は次のようになるでしょう。すなわち、ある春の日の夕ぐれに、とある屋敷の「門」に「人」が入っていく。その後には、取り残されたかのように「門」がそこにあるだけである。
ここでは物音や質感などは省略され、夕暮れ時の薄闇の中でぼかされているため、入った「人」が誰であるのかは定かではありませんが、掲句を詠んだとき、すでに作者は福岡の大学病院の病床についていたことを考慮すれば、おそらく「去る者は去っていき、残るものが残った」という感覚だけがここでは純粋に置かれているのではないでしょうか。
20日に太陽がおうし座から数えて「蒸留と忘却」を意味する12番目のおひつじ座に移動し、春分を迎えていく今週のあなたもまた、掲句の作者のように、もはやこれからの自分には不必要なディテールや設定をぬぐい去っていくことがテーマとなっていくでしょう。
忘れてこそ深まる
未知なるものを求めて、既知のものを捨て去ること。あるいは何かを捨てて初めて自覚される、根源的なアイデンティティー。今週のおうし座はそういう所に心が向いているはず。
岡崎京子の『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』という物語集がありましたが、「忘れる」という営みは特定の現実に対する認識を肯定も否定もしないまま、いったん寝かせて熟成させていくことでもあります(もちろんそのまま放置されっぱなしとなる可能性もあるけれど)。
だから何か誰かを忘れることは、その何か誰かへの認識を深めていくことでもあるのではないでしょうか。そうやって初めて、人は移ろいゆく人生をなんとか受け入れていくことができるのかも知れません。
今週のキーワード
移ろいが深まった分だけ身軽になっていく