おうし座
<私>はあなた
まっしぐらに世間に飛び出す
今週のおうし座は、津島佑子の『光の領分』の主人公のごとし。あるいは、風に吹きっさらしの「世間」というむき出しの現実にさらされていくような星回り。
『光の領分』という連作短編小説の主人公である<私>は、藤野という男と結婚している若い母親だ。藤野は自身が経済的に自立していないことを理由に婚姻関係を結びながらも<私>と別居しており、愛人と暮らしている。
藤野は別居するにあたり<私>の引っ越し先を勝手に決めてしまうが、当初の<私> はそれに対して「自分の住む場所なのだから、自分で選びたかったのに」とは思わず、むしろ「一人の男に引き摺られて行く快感」を覚える。しかしやがて藤野の身勝手な態度に疑問を抱くようになった<私>は、その部屋を出て、自分ひとりで決めた住居に子どもと移り住むことになる。
その新居は奇しくも、夫の名前、すなわち自分の姓名の「フジノビル」というビルの最上階の一室であり、はじめはそのことを偶然の一致だと考えていた<私>も、物語終盤で「私はビルの名前にも、自分自身の夫との深いつながりを感じ、それに身をまかせてみようと思っていたのかもしれなかった」と回想している。つまり、<私>はみずからのことを「夫」に従属する「妻」として自分で位置付けていた訳だが、同時にそのことに違和感を覚え、抵抗し続けているという極めて矛盾した状態にあった。
作中で<私>は繰り返し夢を見るが、他にも偶然聞いたテープの音声や、訳の分からないことをわめく酔っ払いの口から、例えば「夜は暗い、朝よ来たれ」とか「思案なんかいっさいやめにして、まっしぐらに世間に飛び出しましょう」とか、メッセージなのか幻聴なのか分からない言葉を聞いてしまうのも、きっとそんな身分の定まらない不安定さゆえ。
その意味で、12日におうし座から数えて「親ないし世間」を意味する10番目のみずがめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、世間から保護膜によって隔てられるのではなく、むしろ世間に飛び出していくための最適な出入口を見定めていきたいところ。
世間を越えた「潮」として
詩人の永瀬清子が、戦後の混迷期に生きた女性の生活実感を描いた作品のひとつに『窓から外を見ている女は』という詩があります。
産業構造が変わって、女性たちも農業以外の多様な職業につくようになり、それに伴って多くの女性が新しい生き方を余儀なくされる中で自由と不安とのはざまで揺れる日々を過ごしていった訳ですが、この詩はまさにそんな女性たちへ贈られた応援歌でした。
窓から外をみている女は、その窓をぬけ出なくてはならない。
日のあたる方へと、自由の方へと。
そして又 その部屋へ かえらなければならない。
なぜなら女は波だから、潮だから。
人間の作っている窓は そのたびに消えなければならない。
この「窓」とは女性たちを縛る古い社会のしきたりや、保守的な価値観のメタファーとも読めますし、何より「女」自身の中にある社会や文化などによって規定された固定観念なのではないでしょうか。
興味深いのは、この詩では「女」はそうした「窓」を抜け出していくだけでなく、「潮」のように「かえらなければならない」と書かれている点です。ここでは、女性という性が根底に有している強さや自然が、世間や文明のつくりだす人工物をこえたスケール感を持つものとして捉えられているのです。その意味で、たくさんの夢を見続けた『光の領分』の<私>も、恐らくこの詩に登場するような「窓から外をみている女」の一人だったはずです。
今週のキーワード
「思案なんかいっさいやめにして」