おうし座
月光の底で生きる
白菊とわれ
今週のおうし座は、「白菊とわれ月光の底に冴ゆ」(桂信子)という句のごとし。あるいは、美と孤独とをより一層つよく抱え持っていくような星回り。
秋の夜更けに眠られぬまま家の縁側にでて月の光を浴び、虫の声を聞き、来し方行く末を想っては煌々たる天上の月を仰ぎ、地上の自己を対照的に観じたとき、「月光の底」という言葉が生まれたのでしょう。
「白菊とわれ」というのも、われは白菊に象徴されて、月光の中では肉体のかすかな臭いさえも失われて、ひたすらおのれの美と孤独とに冴え輝いていく訳です。
掲句が掲載された『月光抄』は、夫が喘息の発作のため急逝したために、わずか2年ばかりと短く終わった結婚生活と寡婦としての境地について詠んだものでしたが、そこには既に以後定年退職するまで会社員として自活していった覚悟の片鱗のようなものが感じられるのではないでしょうか。
31日に他ならぬおうし座で「自主独立」の星である天王星とぴったり重なって満月を迎えていく今週のあなたもまた、誰といようが何をしていようが地上でひとり生きていくことをしみじみ感じ入ってみるといいでしょう。
日常のその先を見つめて
肉体労働をしながら39歳で著作を発表し、「沖仲士(おきなかし)の哲学者」と呼ばれたエリック・ホッファーは、7歳で母が死に18際で父が死んでから天涯孤独の身でした。
彼は後年「本を書く人間が清掃人や本を印刷し製本する人よりもはるかに優れていると感じる必要がなくなる時、アメリカは知的かつ創造的で、余暇に重点をおいた社会に変容しうるでしょう」(インタビュー「学校としての社会に向けて」、1974)と述べていますが、これは現代の日本社会においても同じことが言えるかも知れません。
私たちは生きている。そして働いている。一方で、自分自身の置かれた状況を嘆き、暇があれば愚痴を言い、社会や上司や他人のせいにして、悪者探しと不幸自慢で一生を終えようとしているように見えますが、そんなことにはもうコリゴリだというのが今のおうし座の心境なのではないでしょうか。
ホッファーがかつてそうであったように、例え日々の労働をやめるだけの余裕などとてもないのだとしても、いまここから自生的に立ち上がり、自分なりの知見を深め、知的かつ創造的に文化を創造していくことだってできるはずです。
読み、書き、調べ、考え、紙にまとめ、発表する。そうしたプロセスは、歩き、しゃがみ、持ち上げ、踏ん張り、こらえ、洗い、たたむといった日常の一連の動作と本来シームレスにつながっている。今週はそんなつもりで、自分の日常の先にある可能性について思い巡らせてみるといいでしょう。
今週のキーワード
荒木優太『これからのエリック・ホッファーのために: 在野研究者の生と心得』(東京書籍)