おうし座
役割の業(わざ)
アニミズム俳句
今週のおうし座は、「栗の虫すまなささうに出て来たる」(辻田克巳)という句のごとし。あるいは、今の自分にちょうどいい「身の丈」を推して知っていくような星回り。
栗の中から虫がすまなさそうに出てきたのだという。言うまでもなく、掲句の肝は「すまなささうに」という作者の見立てにあります。
「栗の虫」は物心つく前に栗の実の中に産みつけられ、孵ってからはその実を食べながら必死に殻を破ろうとしてきた。それしかなかったから栗を食べた訳で、人間に対して罪悪感を覚えるいわれはないはずです。でも、作者がそう感じたのだとすれば、それは「栗の虫」と自分自身とにあいだに大きな差を設けていないからでしょう。
考えてみれば、栗は縄文人にとって最も大切な樹木であり、木は建材となり、その実はとても貴重な食べ物でした。殻を人間があけるまで、どっちが多く食べられるか。それは命をかけた勝負であり、そこでは虫であれ動物であれ人間であれ、あくまで対等な立場に立っているのです。
そう考えてみると、掲句はアニミズムに貫かれた俳句であり、縄文人のなかには実際掲句のように感じてた人もいたのかも知れません。
17日におうし座から数えて「ふさわしい立ち位置」を意味する6番目のてんびん座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自分なりの世界観がどのようなものであったのかということに立ち返りつつ、改めてポンと自分を世界の中に置き直してみることがテーマと言えるでしょう。
共同存在的な感覚
人間は、より大きな全体の一部としてあることで初めて、存在し続けていくことができますが、それは閉じて自分を守ることに慣れてしまった人にとっては、とても恐ろしいことのように映ります。
自分を開いたら、大事なものを傷つけられ、価値を奪われ、草をむしるように花を摘まれ、そのへんにポイ捨てされるのではないか、と体をトゲのようにこわばらせては、花開くことを拒絶する。それもまた人間の現実です。ですが、どうかぜひ、そうした人間中心の世界から一歩外へ出て、「花咲かす樹木」になったつもりで過ごしてみてください。
例えば、何かの拍子で地上近くの枝が折られ、花がダメになったとしても、樹そのものの価値が減ることはありません。花は樹上のいたるところで咲き、その花のどれもが自分であり、また花粉を運ぶ虫たちや、花を愛でに集まる人間たちの中にも、花は存在し、やはりそれら全体が自分でもある。
今週のおうし座は、そんな風に私たちが互いに好いたり嫌ったり葛藤しあいながらも、相互に関係しあいながら存在することの不思議さに、改めて触れていくことができるかも知れません。
今週のキーワード
「上には誰がいる。下には誰がいる。隣りには誰がいるのだろうか。 特別というものはなく、単に魂の過程に見合った役割の業」(橋龍吾)