おうし座
白痴です
遊んでナンボ
今週のおうし座は、「白露や無分別なるおき処(どころ)」(宗因)という句のごとし。あるいは、ほんらいの無邪気さを取り戻していくような星回り。
俳句を「遊び」と割り切り、軽口や笑いの要素が強かった談林派は、今ではもうすっかり廃れてしまいましたが、作者はその祖にあたる人物で江戸時代前期の人。
掲句は自分なりの美学を歌い上げているという点で、珍しく大真面目な句と言えます。庭に生えている草の葉や路傍の石の上など、どこにでも結んで朝に白く輝く露の玉。世間では何かと分別を重んじるけれど、この世に分別面をした人が繰り出してくる分別ほど胡散臭いものはない。願わくば、自分も秋になるとそこかしこで光っている「白露」のように、いつまでも無邪気にキラキラとしていたい。そんな声が聞こえてくるかのようです。
何を見ても、どこにあっても遊びに変えてしまう子供のような自由な心を理想とした作者は、もともと肥後藩の城代の側近だったが主家の改易にともない27歳で浪人となり、43歳の時に大阪で宗匠となるまで諸国を徘徊し、浪浪の身をおくったのだと言います。
17日におうし座から数えて「自家発電」を意味する5番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自分が生きたいように生きてナンボなのだという初心に返ることがテーマとなっていくでしょう。
「こんな夢を見た」
まだ天動説の世界をみなが当たり前に生きていた17世紀初頭、ケプラーの法則で地動説を決定づけたヨハネス・ケプラーは、そうした天文学的業績を重ねる一方で『ケプラーの夢』という「SF小説の嚆矢(こうし)」とも呼ぶべき作品を書いていました(出版は死後)。
この物語では、主人公は日光は嫌うが夜には出かけることのできる精霊の力を借りて、フォルファ(地球)からレファニア島(月世界)へ4時間でたどり着き、地球が月からどのように見えるかが想像力に富んだ記述で示されています。
もともとこの作品は、コペルニクスの地動説を擁護するため、「地球の居住者にとって月の運行がはっきりと見ることができるのと同じように、月面の観測者は惑星の運行を理解することができる」と提唱する学位論文として書かれたものだったそうで、これは彼の地道で忍耐強い天文学的業績もまた、非常に先駆的な実験的試みによって支えられていたということの証左とも言えます。
考えてみれば、談林派を始めた宗因にとっても、俳句はひとつの実験的試みだったはず。今週のおうし座もまた、それくらいルナティックになってみるくらいでちょうどいいのかも知れません。
今週のキーワード
狂気と創造、紙一重